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[コメント] 間違えられた男(1956/米)

Wrong――「間違い」、「不正」、「陥れる」。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







刑事が主人公に、犯人の筆跡との異同の確認を求めるシーンでは、彼に二回、同じメモを書かせている。そして、犯人のものと合わせた三枚が同時に画面に押さえられることはなく、刑事が「ほら、見てみろ、似ている」と提示するのは二枚のみ。ここで単純なトリックが用いられていることは容易に推測できる。というか、唯々諾々と二回素直に書いてしまう主人公の純朴さよ。

警察による冤罪を疑わせるのは、面通しのシーンでも。同じ格好をさせた男たちを横に並べて、目撃者に、端から順番に数字を数えさせ、犯人の所で停止させる。だが、真犯人が些か間の抜けた犯行で、老夫婦に捕まってしまった後の面通しでも、目撃者は、主人公を指した時と同じく、4番目で停止する。これは、予め刑事から番号を示唆されていたのではないかという疑いを湧かせる。

この、二つの「似ている」「同じである」ということの決定的なシーンに込められた疑わしさ。それをこの映画は、あからさまに告発はせず、言外に匂わせる。

的確なカットを重ねることによって、観客の心理をジワジワと締めつける演出術。主人公の、見開かれた眼差しのカットと重ねられる、玄関前で彼を引き止める刑事や、面通しで店内を歩かされるシーンでの、店主との、疑惑と協力の綯い交ぜになった、微妙な眼差しの交換。警察署で指紋捺印を済ませた後に、指先にベッタリとついた黒いインクという、「汚れた手」。看守によって用意された手錠。狭い護送車に犇く男たちの足許。閉じ込められた牢内の光景。等々。

その反面、「善良な一市民」、「貧しくとも幸福な家族」を表現するシーンのあまりのステレオタイプな記号性に、あぁやはりここらがヒッチ先生の限界かと。妻が精神を病んだ際、精神科医は、彼女が「月の裏側の世界」、闇の世界の住民となってしまったと告げるのだが、そこには、影の分身のようにして、夫と子供もいると言う。これはつまり、貧しくとも幸福と思えた家庭生活の裏に、彼女が精神を病むに足りる、鬱積したものがあったのだということだ。その裏面を、序盤で予め示唆してくれていたかといえば、この辺がヒッチの演出の、充分に行き届かないところだ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)junojuna[*] 3819695[*]

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