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[コメント] 処女の泉(1960/スウェーデン)

白い娘と、黒い娘。金髪をなびかせ、清潔な衣裳に身を包んだカーリンと、黒髪で、汚れた衣服に身を包むインゲリ。この二人が、光と影のように並び、馬に乗って往く場面は、モノクロ映画の美しさの極みであり、この映画の主題を浮かび上がらせてもいる。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







カーリンの屋敷の老家政婦が、旅人に、旅先で見た煌びやかな教会の話をねだり、「天に届くほど高く、石とモルタルで造られた、窓も色鮮やかな教会」の壮麗さを想像して、うっとりする場面。これは、物語の終幕直前、娘の復讐を遂げた父が「石とモルタルの教会を、娘の亡骸の上に造る」と神に誓う場面に繋がっている。彼は、無垢な娘が、大切にしていた純潔を奪われた上、陰惨な死を与えられた事と、それに対する彼の復讐、その両方に際して神が黙って見過ごしていた事を、詰る。彼もまた、行き過ぎた憎悪によって、罪の無い少年を殺してしまった事により、自らを罪人の一人に数えているようだ。神は二つの罪に対して、沈黙した。だが、娘の亡骸が抱き起こされた時、彼女の体の下から、泉が流れる。水が湧き出すような土地の上に、堅牢な教会など建てられないだろう。これは、娘の上に、物質的な豊かさを表すような教会を建てようとする彼を、神が‘沈黙’の内に、諌めているかのようだ。

キリスト教の神に背を向けるように、北欧土着の神オーディンに、カーリンへの呪いを請願する下女、インゲリ。彼女は、劇中ではそれとして語られてはいないものの、どうも、暗い森の中で男に強引に犯され、子を身篭ってしまったようだ。だから、その言葉の端々で、汚れたものを知らないカーリンを軽蔑するような事を言うのだろう。そんなインゲリを、カーリンの母は「貴女とあの子を一緒にしないで。身重の下女なんて、本当なら放り出すところなんだから」などと突き放し、共に働く、信心深い老家政婦も、インゲリを馬鹿にする。信心深い者たちは、全てインゲリの敵である。カーリンはインゲリに親しげに接するが、それがカーリンの恵まれた境遇から来る無邪気さであるだけに、却ってインゲリの反撥を呼ぶ。教会への遣いの道中、悪態をつくインゲリの頬を思わず叩いたカーリンが謝ると、インゲリは「謝らないで」と言う。これは、カーリンの優しさを感じながらも、自分は彼女を憎むべきなのだ、というプライドに支配されている心情の表れだろう。

カーリンは、遣いの途中に出会った旅人たちに、自邸の豪華さや、衣裳や装飾品の美しさを自慢げに語る。「私はお姫さま」「貴方たちは魔法で姿を変えられた王子さま」などと無邪気に語るカーリン。この「貴方たちは魔法で姿を変えられた」という言いようは、旅人たちの貧しさや、みすぼらしさを、現実として受けとめておらず、この世に苦難や不幸が存在する事すら、まるで理解していない。それは勿論、彼女自身の罪というよりは、(これを罪と呼ぶとすれば)彼女を甘やかし、蝶よ花よと育ててきた両親の罪。娘は、その罪の犠牲に捧げられた格好だ。特に、インゲリを、自分の娘に比べれば獣同然であるかのように、下に見ていた母の罪。教会へロウソクを届ける遣いの前に、カーリンが衣裳や装飾類を、母にあれこれとねだる場面が、妙に長々と続くのは、この親子がどのような関係で、どのような暮らしをしているかを、丁寧に示している。

この映画では、他人に対する優位の上に、自らの幸福や衝動を満たそうとする者が、罰せられているように見える。腕力を振るい、カーリンを犯して殺す男たち。無力な少年を、勢い余って殺害する、カーリンの父。誰もが、死や、後悔の念などによって罰せられる。悪意に支配された傍観者、インゲリもその例外ではない。彼女は、あの惨劇をずっと心に願っていたからこそ、カーリンの父に「あの男たちは悪くない。呪いに操られていただけ」などと訴えるのだ。ただ、「犯されればいい」とは願ったが、殺される事までは願ってはいなかった。だから彼女は、少年まで殺してしまった、カーリンの父と同類なのだ。

少年とカーリンは、無垢でありながらも殺された。これは、罪無き者の死によって、罪人たちが目覚めさせられるという、キリストの受難の一つの暗喩とも言えるかも知れない。

インゲリが密かにパンの間に潜ませたカエルが、貧しい者に弁当を恵もうとしたカーリンの目の前に飛び出し、そこから惨劇が始まる。これは客観的に見れば単なる偶然に過ぎないのだが、インゲリの主観で見れば、まるで自分が忍ばせた悪意が、あの惨劇を呼んだかのように見えるのだ。終幕での泉の奇跡にしても、そこに神の意思を見るか、単にカーリンの遺骸の重みで地面が抉られ、その下の水が湧き出したのだと見るかは、見る者の解釈に委ねられている。呪いにせよ、救済にせよ、それが実在するかについては、映画そのものはただ‘沈黙’している。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)けにろん[*] sndtsk りかちゅ[*]

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