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[コメント] アンダー・ザ・スキン 種の捕食(2013/英=米=スイス)

皮膚。外部と内部を隔てつつ接触させる界面。恐らくは人間ではない何者かである女(スカーレット・ヨハンソン)に寄り添うカメラは、人間界を異邦として映し出す。それはまた、僕ら自身にもときに訪れる離人感を思い出させもする。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ヨハンソンは、未知の生命体というSF的設定を利用して、人間的感情未満、或いはそれを超えた感覚によって、人間界と、人間の肉体とを捉えているような、多義的な曖昧さを演じ、体現している。

ヨハンソンの黒い髪。捕食をイメージ的に描いたシーンで、ヨハンソンが、獲物となる男たちを沈めていく、漆黒の液体。男を魅入らせ、呑み込む「黒」。ラストに、ヨハンソンの皮の下から露わになる、黒い肉体。それは、空虚な闇のようでもあるし、皮膚(スキン)の下(アンダー)に隠され、男が触れることのできない女の魂のようでもある。皮膚の下の黒い正体を目の当たりにした男が動揺し、恐れ、つい先程までは彼自身が、暴力的に陵辱しようとしていたヨハンソンを焼き払おうとする行動は、男にとって普遍的な、「女」の外見の下に隠されているものへの恐れでもあるだろう。

浜辺でヨハンソンが男に誘いかけるシーンで、男は、海の波にさらわれようとしている女性を助けようと飛び込んでいく。その、結果的には虚しいものとなる救出劇は、ヨハンソンの視点と同様の、遠景のショットで捉えられる。そのことで、人間という、小さく、奇妙な生き物が、その生き物特有の衝動(彼ら自身はそれを、同情とか愛とかいう名で呼ぶだろう)に駆られて、大自然の力(=波)に翻弄され自滅していく様を、心理的な距離感と共に観察することになる。浜辺で泣き叫ぶ赤ん坊を無視するヨハンソンの、冷酷というのでもない、単に、泣く赤ん坊をどうこうするという思考自体が存在していない様子が、彼女の非人間性を際立たす。

そうした、離人症的感覚を映像化した点が、本作の見どころであり面白みだが、女が人間界に溶け込むにつれ、そうした新鮮味が薄れていく。だが、それと同時に、侵略者であったはずの女は、むしろ、地球という環境、人間という対象に、知らず知らずのうちに侵されていくようにも見える。女は、最初、黒いライダースーツとヘルメットという、完全防備の「皮膚」に覆われた状態で登場する。その女が、地球という場所で磨り減り、最後にすべてを暴力的に剥がされ、剥き出しにされる過程が、この映画。女は、いかにもファム・ファタールらしく、毛皮を身にまとっていたが、毛皮とはまさに、人間もまた、他の生き物の皮で自らの身を覆う存在であることの証しだ。

既に『アンダー・ザ・スキン』のタイトルで公開された映画があったのも理由だろうけれど、『スピーシーズ 種の起源』の二番煎じ的三流SFホラーを思わせる副題を付けたのは趣味が悪い。この邦題から想像されるようなタイプの映画でないことは、始まって数秒で気がつくのだが。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)小紫 濡れ鼠

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