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[コメント] Mommy マミー(2014/カナダ)

アスペクト比1:1の美。この比率の方がショットの構図もビシッと決まりやすいのだなと知る。予め画面中央に意識が制限されることで、普段は視界の中を浮遊し視線を定めるのに用いられる無意識的な努力が不要となるので観ていて心地好い。他に美点はないけど。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







若き鬼才とか言われているらしいドランの自己愛たっぷりな自作自演もなかなか堂に入っていたが、演じられる母子が、いずれも身勝手でバカで自己愛的なので、こいつらがどうなろうとどうでもいいと感じさせられる。冒頭の衝突事故も、意味があったんだか無かったんだかよく分からんが、ぶつかった車や、事故に驚いた野次馬が出てくる店の中で鳴っていたBGMの入り方が、その後、息子を引き取った母が、息子がラジオを同時に鳴らすことに怒るシーンと重なり、複数の音の衝突やズレがそのまま心理的なそれの暗喩として機能する映画なのかなと。だが、その後、音の演出で「おっ」と思わされるような箇所は特に無かった。

画面のサイズがイレギュラーで、それが途中で変化すると聞いていたので、どんなタイミングでそうなるのかが一つの見所だと注目していたが、期待はずれ。息子が隣家の吃りで休職中の女教師に勉強を教えてもらうことで未来が開けた、という表現として、息子がローラーボードで道路の真ん中を走り、彼を邪魔がる車を息子が挑発する脇から自転車で併走する母と女教師、というシーンの最後、息子が手を広げる動作をすると画面が広がる。つまり、世界が広がる=画面が広がる、という安直な表現。その勉強が出来るか否かというのがいかにこの息子の人生にとって重要かというのが描かれていなかったので、観客は置いてきぼり。息子のガキっぽい言動のせいでいったんは大喧嘩となった女教師と息子が、母の帰宅にサプライズで祝いの席を設けるなんてシーンも、「ここはベルサイユ宮殿?」などという母の台詞の陳腐さや、どうせこんな一時のお祝いをしていても、あとで台無しにするような展開に自らを追い込むことになるんだろうなと容易に想像できてしまうせいで、バカ母子がヘラヘラ笑っているのを見ても感情は一ミリも動かない。

そもそも、アスペクト比1:1の制限から解放されたシーン中、本来なら未来が開かれた状態を表現しているはずの通常サイズの映像が、却って凡庸な印象しか与えず、マイナスになっていて本末転倒。

その後、冒頭で息子が起こしたと語られていた、病院だか少年院だかでの放火で心身に傷を負った少年の親から賠償金を求める訴状が届くと、それを手に呆然とする母を捉えたカットで徐々に画面が再び狭まる。あとから、画面がいつの間にか元に戻っているのに気づいて巻き戻ししてようやく気づいたのだが。

訴訟がどうなっていくのかというのも全然描かれず、母に気があるらしい弁護士とカラオケに行って案の定、息子が暴れて失敗するシーンがあるだけ。息子に執着しているらしい母が結局新法を利用して施設に入院させてしまう行動に至る追いつめられようも描かれていないので、ドラマとして成立していない。ショッピングセンターで息子が手首を切るなんてシーンはあるが、母が原因でそうなってしまうという必然性が伴っていないので、急に入院させる意味が分かりにくい。彼が母に対する罪悪感で手首を切ったというなら、入院を拒むのは支離滅裂だということになる(まぁ息子は支離滅裂な奴なのだが、映画自体が支離滅裂になりすぎだ)。母が息子との生活に耐え切れなくなったといった感じも受けなかったし。

挙句、この母は、息子が強制入院を嫌がって、逃げようと暴れ、職員を何度も殴った末に殴り返されると、「殴ったわね!」だの「入院はやめる」だのと叫んだり、鬱陶しいことこの上ない。キチガイ息子がスタンガンで気絶させられるところも、ザマミロとしか思えん。母子共々、息子のせいで火傷を負った子に対して申し訳ない気持ちなど微塵も見せない上、母は「息子は特別」だの「優しくて才能がある」だの、ドランが自分で自分を慰めているようにしか見えず、アホらしくなってくる。

身勝手に喋り捲る母子のあいだに入る女教師が、吃りという遅延を持ち込むことでブレーキ役になる辺りはまぁ巧いと言ってやってもいいのだが。

(評価:★3)

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