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[コメント] Seventh Code セブンス・コード(2013/日)

アデルの恋の物語』ですかと思わす一方的な恋に狂う前田敦子がガラガラと喧しい音を響かせて引き摺るキャリーバッグが甲虫の背のように彼女と一体化して見える、そのモンスターぶりに期待させる序盤からの失速。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







前田は、自分がストーキングする男が、怪しいロシア男どもが待ち構える建物に入ったのを追って、窓から侵入するがあっけなく捕まり袋詰めにされほっぽり出されてしまうのだけど、小汚い袋からモソモソと這い出す彼女の姿のミノムシ感がまた異形的で面白い。

が、そうした唐突な面白さは、金が無いのに堂々と無銭飲食するその無神経なまでの生活力を示すレストランのシーンで終わる。あとから考えたら、この無銭飲食も、働いて返しますという理由付けによってその場に留まり男を待ち続けるための工作、闇の仕事人としての合理的判断に過ぎなかったと思える。

男を追って窓から侵入するあの無茶苦茶さも、無茶苦茶というよりは仕事人としての仕事でしかなかったわけだ。むしろ、そのあとで簡単に捕まって追い出されたことの方が不可解。殺されるなり、薬漬けにされ売り飛ばされるなりしていたらどうするんだよ。

アイシーの語る幼稚で生硬な人生観、「力を与えてくれる人が欲しかったの。お金は力を与えてくれる。誰だって力が欲しいんじゃないの?」とかいうのを、若い中国系女性のたどたどしい日本語で喋らせ、そのたどたどしさという身体性によって、短絡的な人生観に縋らなければならない彼女の背景とその健気さという補完を行なおうという志の低さが情けない。無才な学生の映画かのような青臭さ。

本当なら、このアイシーの境遇と、どうやら闇の仕事人的なことを、誰にも縋らず孤独に遂行して生きてきたらしい前田の、大の男をも捻じ伏せる「力」の哀しさとが、対照的でありながらも重なり合う情感を醸し出して然るべきだと思うのだけど。だが実際は、前田の狂女っぷりが、闇の仕事人(繰り返し書くと何だか間抜けに思えてくるが、取り敢えずこう言い表すしかない)としての合理的な行動でしたという、しょうもない種明かしにしかなっていない。むしろ、ワケの分からない情念に突き動かされる狂女のままで、その感情の動物性という確かさだけは抱いたまま突っ切ってくれた方がどれだけよかったか。

ラストカットでの大爆発も、『めまい』的な「あの色の車」に宿命を象徴させるやり方にハッとさせられるところが無くもないが、前田がヒッチハイクしたトラックが「偶然にも」ダイナマイトを積んでいるという出鱈目さに萎える。その、最後に大爆発で終わらせたかったという映画的欲望への忠実さも、そこに或る種の野蛮さや、蓮實的に言えば愚鈍さを見出すのは難しい。最後はこんな感じで終わらせたら「映画的」だよねという安直さによる計画性しか感じられない。

なんだか、画面の奥に小さく見える場所から世界の終焉を告げる狼煙を上げる黒沢清的終幕とも言えるけど、その画面の一点に凝縮されることで強度が極まるような世界観が一時間通して演出され得ていたとは感じられない。取って付けたようなミュージックビデオシーンに至るまでにどんどん空疎になっていった果ての、皮相な結末。

(評価:★1)

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