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[コメント] 大いなる陰謀(2007/米)

この邦題で公開した配給会社はレッドフォードに殴られていい。「陰謀」がどうこうという内容ではなく、テロとの戦争に関する議論と、その議論の空しさを三つの状況の同時進行で描いた映画。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







原題は、劇中の台詞にある「羊に率いられた獅子の群れ」という人口に膾炙した言葉から来たと思しきもの。「獅子に率いられた羊の群れはそれに優る」という言い方で、指揮官の能力の重要さを表わした言葉としてよく使われる。この映画の場合、獅子を率いる羊の立場にあるのがトム・クルーズ演じるアーヴィング上院議員。

全篇に渡って延々と続く議論。登場人物たちは座りっぱなしか、たまに机の周りを歩く程度の動きしかしない。特に前半は殆どがバスト・ショットの繰り返しで、画的な退屈さは否めない。だが、教授と生徒、議員と記者が、机を挟んでの文字通り「机上の空論」とも見える議論を続ける中、同じく一対一の会話とは言え、戦場の兵士二人の会話は、他の二か所で交わされるような複雑な台詞は無く、互いの身を気遣い、自分たちの置かれた状況を警戒する、鋭く短い、必死の言葉ばかりだ。

議員とジャニーン・ロス記者(メリル・ストリープ)の議論は、その戦況を伝える電話で断ち切られ、マレー教授(ロバート・レッドフォード)は、かつて生徒だった二人の兵士、アーネスト(マイケル・ペーニャ)とアリアン(デレク・ルーク)の事を回想する。「机上の空論」を破る、二つの人命という現実。この二人は、長々と議論する為ではなく、戦傷によって、その場に動かずに居る事を余儀なくされているのだ。

一時間が過ぎ、議論は結論を見いだせないままに閉じる。ジャニーンは、議員が「さあて、ネットオークションに課税するかどうか」と、それまでと全く関係の無い話題に関心を移そうとしているのを目の当たりにする。トッド(アンドリュー・ガーフィールド)は、教授が他の生徒とも成績の事を話し合わねばならないのを知り、部屋を出る際にも、ついでにドアを閉めるよう言われる(入る時には、ドアを閉めるか訊ねたら「自分で考えてくれ」と言われたものだが)。トッドもまた、教授との議論のさなかに廊下を歩く様子が時折ガラス越しにぼんやりと見えていた生徒たちの一人にすぎない。ジャニーンもトッドも、一時間語り合った相手が再び他人に戻るのを見ながらその場を去るのだ。

その後、ジャニーンは、議員の話した作戦をそのまま伝えるのは躊躇われる、と上司に話すが、結局は大人の事情に押し潰されて、彼女の取材内容はニュースのテロップとして流れる。だが、それを見つめるトッドは、教授から示された選択肢のどれを選ぶか、必死に思案している面持ちで、そのまま映画は閉じる。自らの意志を塞がれたベテラン記者と、自らの意志そのものが未決定な青年。この対比を観客に見せ、無言の問いのようにして終わるこの結末。

トッドは教授との会話の中で、「大統領選には立候補しない、というのが立候補宣言だ」といった欺瞞に充ちた政治に幻滅して講義をサボっていたと告げるが、ジャニーンはこの「立候補しない」という言葉を、見るからに野心満々のアーヴィングから聞かされていたのだ。このように、若者の未熟だが率直な目は現実を突いていたのだが、その現実に敢えて兵士として身を置いた二人の若者は、権力者が鼻血程度にしか考えない「損害」として、暗視モニター内に小さな蟻のように映る捨て駒として死んでいくのだ。

このように、脚本は実に緻密かつ、全体の構成は大胆なアイデアによるものだが、これを映画として魅力あるものにするには、今回のような手堅い演出では、もう一歩か二歩足りない。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)jollyjoker 死ぬまでシネマ[*] Orpheus[*] シーチキン[*]

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