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[コメント] ジェシー・ジェームズの暗殺(2007/米)

南北戦争の敗者である南軍、その生き残りとしてのジェシー・ジェームズ。アメリカの正史から取り残された者への郷愁。疑念と友情の間で揺れ動き張り詰める、緊張感に充ちた場の空気を捉えた、持続性のある場面作り。音楽の素晴らしさ。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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重く、不安げで、それでいてどこか郷愁に似た憧れへと細い感情を紡いでいくような、その音楽。これだけで映画の主題が全て描き切れていると言ってもいいくらいの填まり具合に泣けてくる。この音楽と、時間を張り詰めさせ、引き延ばすような場面の持続性が合致した美しさを見せるのが、何と言っても、序盤の列車強盗のシーンだ。闇の奥から現れる列車の灯り。林の木々を静かに浮き上がらせる光の動き。このシーン以上に美しい場面は遂に訪れないのだが、それもまた、歴史から取り残されていくジェシーの哀愁と相通じるものが感じられる。

この列車強盗が、文字通り、「最後の輝き」だったわけだ。この強盗の収穫は乏しく、結果的にはジェシー暗殺への序章ともなるのだから。この強盗シーン以前に、ジェシーが仲間たちと一緒にリンカーンを嘲弄する会話があり、星条旗や独立宣言を嘲る言葉が出ていた。アメリカの正史そのもの、というより、アメリカそのものとも言えるこれらを否定するジェシー。彼が回想シーンで見つめる、平原の向こうが炎で染まる光景は、一度は二手に分かれたアメリカの歴史の内の一つが閉じていく、その残照だ。

ジェシーに憧れ、共通点を求め、ジェシーの特徴を記憶し、それでいながら暗殺者と化すボブは、そうすることでジェシーに取って代わったかのように歓喜している様子だったのだが、結局は二流の模倣者にさえなれない。むしろ、兄のチャーリー、悔恨の念に苛まれ、世間が裏切り者に求める通りの死に方としての自決を選ぶチャーリーは、弟と演じ続けた再現劇の中で、自らの精神の荒廃と引き換えに、次第にジェシーに生き写しとなっていく。

暗殺直後、密かに通じていた警察に電報を打つ兄弟。チャーリーは「俺の名を書け」と言うが、ボブは、自分が撃ったのになぜだとはねつけ、係の者に電報の文面を記したメモを渡す際も、「取っておけ」と誇らしげに言う。功名心から、ジェシーの暗殺者として名乗り出たボブはその結果、かつての自分同様に功名心に駆られた男に撃たれて死ぬ。この模倣者の模倣者のような男こそが、死後も残るジェシーの威光を浴びて大衆から支持されることになるのだ。

ボブがジェシーを撃とうとしたのは、憧れていたジェシーの実像に失望したからか、それとも、彼を越えようという意志からか。いずれにせよ、彼がジェシーへ向けた銃は、彼から贈られた物であり、完全にその掌から逃れられなかったのだ。ジェシーの死を哀れむ民衆を含め、全員が、疑念であれ、憧れであれ、虚像に踊らされていた(酒場で歌われる、ジェシーを讃え哀れむ歌も、彼の子供の数を間違えている)。一つの劇場、虚像としての、失われた影のアメリカ史。

広原にぽつねんとある隠れ家の、その孤絶、隔たり、寄る辺なさ。レンズ越しに覗いた、幻のようなノスタルジーを漂わせるショット。微妙な凹凸を有した窓ガラス越しの、蜃気楼のように揺らめく風景。部屋の戸口から覗き込むような、或いは地面の草越しに捉えた、人物の撮り方。画が雄弁だ。演技も良い、音楽も良い、だがそれらの「良さ」に寄りかかり過ぎて、もう一歩踏み出すべき所を踏み出していないような作りには、やや一本調子な印象も否めない。エンドロールのフォントや大きさに至るまでもが計算し尽くされてはいるのだが、一つの完成形に収まり過ぎているのが、パワーに欠けると言えば贅沢か?

(評価:★4)

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