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[コメント] 赤い風車(1952/英=米)

絵画的かつ音楽的。シンクロする音と映像によって描かれる、シンクロし得ない二つの世界のもどかしさ。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ロートレックの絵から抜け出したような、役者の顔、衣装、美術が、何と言っても一番の見どころ。視覚的な類似性のみならず、猥雑な空気感の醸し出し方が巧み。夜のパリを彩る、青、エメラルド、赤の照明の鮮烈さ。良家の子息として育ったアンリ(=ロートレック)の回想シーンや、彼の母が部屋を訪ねてくる場面などは、ナチュラルな光の下に撮られており、色彩によって、アンリが住む二つの世界の違いを視覚化し得ている。尤も、極端に分けたせいで、一本の映画としての統一感が多少犠牲にされたきらいはあるのだが。

とは言え、オープニングでの、ロートレックの描いたポスターの文字を真似たフォント・デザインからして目に楽しい。キャバレーの活気を描いた冒頭シーンでは、ダンスの音楽に合わせるようにアンリのデッサンする手が動く。足の不自由な彼が、手先で行なうダンス。最初の恋人マリーに裏切られたアンリが、ガス自殺を思いとどまって、絵の中の女の背景に幾つもの人影を描き込む場面は、愛する女の影に、欲望渦まく世間を見出すと同時に、彼自身がその中に入り、社会的成功を手にする予兆とも感じられる。

ロートレックの絵を、まるでアニメーションのように躍動的に見せる素早いカット割りには感心させられた。音楽に合わせて、絵の中の人物が踊っているように見える。とにかく、視覚的な楽しみに音楽性が加わった演出が見事。後に同じように描登場する場面では、最初のそれに比べて躍動感が抑えられているのも、アンリの運命が下降気味になるのとリンクしている。

終盤、二人目の恋人ミリアムとの物語があまりに早足で描かれるのには違和感を覚え、一度恋人に裏切られたアンリが、彼に相応しい筈の女性の愛すら信じられずに関係を壊してしまう悲劇性が充分に胸に迫って来ないのが惜しい。思い返せばマリーも実は、アンリと同じような過去のせいで、アンリの愛を自ら拒絶してしまったのかも知れない、などと後から考えてみたりもしたが、その辺りはアンリに発見されたマリーが酒場で酔いつぶれてやけっぱちな台詞を吐くあの表情から感じとれる以上のものは見出し難い。敢えてそのように抑制させたのかどうなのかもよく分からない。

自らの階級から、文字通り‘転落’(階段から落ちて身体障害を負う)させられたアンリの、自ら下層の人々の生活へと降りて行った行為が、却って‘芸術’という形でその自由闊達な空気を絵筆によって奪い取る結果を生んでしまう悲劇。マリーとの関係にしても、ムーラン・ルージュとの関係にしても、アンリは成功と引き換えに人を失ってしまう。最後に、幻影として再びアンリを迎え入れる人々の姿は、喪失したものがイメージとして甦る、という意味で、絵画、更に言えば、視覚的芸術としての映像の宿命を告げているかのように思える。

(評価:★3)

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