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[コメント] マンダレイ(2005/デンマーク=スウェーデン=オランダ=仏=独=米)

「この国はまだ黒人を受け入れる準備が出来ていない」――本作の三年後、初の黒人大統領が選出された。が、アメリカの或る街では、彼が暗殺される日が賭けの対象にされている。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







最後にグレースが、「15分だけ待つ」と告げた父の許へ行くのに遅れたのは、時計が遅れていたからなのだが、この時計の針もまた、多数決で決められた時刻に合わされていたのだ。勿論、逆に父の時計が早すぎたのだという可能性も無いわけではないが、いずれにせよマンダレイで決められた時刻は、マンダレイから一歩外に出ただけで拘束力が無くなるのだ。この時計が、「ママ」と呼ばれる女主人の信じていたスイス製ではないという所にも、この時計が偽物だという暗示がある。

グレースは、自らの信じていた民主制、集団の合意からのしっぺ返しを食らう。彼女は、解放されても奴隷根性の抜けない黒人たちを教育する為に、部下のギャングたちの手で「強制的」に黒人たちを「講義」に出席させ(第一の矛盾)、その結果、多数決による集団的意思決定を覚えた黒人たちの手で、新たな主人に選出される(第二の矛盾)。その役割から逃れる為に、父の許に駆けつけるのだが、マンダレイの時刻と外のそれとが必ずしも一致しているわけではないことに気づかなかったせいで、一人アメリカ大陸を彷徨する羽目になる(第三の矛盾)。

この最後の、第三の矛盾そのものが、二つの意味を含んでいる。まずグレースは、マンダレイで暮らす内に、マンダレイ内で通用している時刻、人為的かつかなり恣意的に決定された時刻を、いつしか唯一の自然な時刻として捉えてしまっていたのだ。それにも関らず、グレースが父の許へ行ったのは、マンダレイの外に逃れたら、彼女を新たな主人に決めたマンダレイの法からも解放されると思ったからなのだ。この二つは互いに矛盾している筈なのだが、グレースはまさにこの矛盾を踏んでしまった。

また、この時刻を決める際に、勘で時刻を主張したのは、マンシ(王族)出身だというティモシーと、密かに「ママの法」を作成していたウィレルム。グレースはこの二人の掌の上で踊らされていたのだ。

グレースは、黒人への差別に憤りながらも、その彼女自身がティモシーの、高貴でエキゾチックな雰囲気という、社会階級と人種という二重の差別が絡んだ魅力に魅入られてしまう。しかもティモシーに抱かれた時には、女性に対する差別的な儀式も受け入れている。これは、受動的な性的対象としての自分の性を受け入れ、なおかつ、黒人の王族の儀式、という「自分とは異なる価値観」に基づいた儀式であるということから、受け入れたのだとも解釈できる。

「彼の顔を見て、芸術的な才能があると感じた」と言って黒人青年に画材を渡したグレースは、「顔を見て」と言ったくせに、別の黒人と間違えてしまう。また、農園を支配していた「ママ」の遺族である白人たちが、グレースの教えを学ばないからと言って、懲罰として黒人のように顔を黒塗りにさせるのだが、このことが「懲罰」であるという事実そのものが、顔が黒い人種への差別意識の表れとも取れないわけではない。劇中の「この国はまだ黒人を受け入れる準備が出来ていない」という言葉は、実はグレースに当てはまってしまう言葉でもある。

「ママの法」で、黒人たちはそれぞれの個性に応じて、タイプ別に番号を付けたグループに分類されていた。この管理システムに憤ったグレースに対し、ウィレルムは「人それぞれ異なるのです」と言う。ここにもまた矛盾、というか、二律背反がある。人それぞれ違うのだから分類が為されるのだが、分類され、カテゴリー化されるということは、異なる人間を一まとめに束ねて扱うということでもあるのだ。

小屋の修復の材料として伐採することが禁じられていた「老婦人の庭」が、実は砂嵐を防ぐ役割を果たしていたことを、なぜ「ママ」は黒人たちに教えていなかったのか。それは、最後にウィレムが「ママの法」の存在意義として挙げるものの一つ「奴隷は、主人に責任を押しつけていられる」に理由を求めることができる。グレースはいわば、神が禁じた知恵の実を食べるように唆す蛇の役を果たしてしまったのであり、そのせいで黒人たちは、何も考えずに暮らしていられる楽園から追放されてしまうのだ。

尤も、砂嵐という共通の敵を得たことで、それまでまとまりに欠けていた黒人たちが、団結するようにもなる。「支配者」の代わりに「脅威」。いずれにせよ、何らかの力、暴力が彼らを秩序立てているのだ。

また、マフィアの顧問弁護士によって法的な書類が作成される場面は、マンダレイの外部の法の力を招き寄せるという点で、『ドッグヴィル』での御触れが果たしていた役割を想起させる。

ところで、「ママの法」で一つ思いあたるのが、グレースが父に対して何かを頼む、というより殆ど命令をする際に、「ママ」を引き合いに出していたことだ。家父長制的な権威主義の権化のように見えるマフィアのボスが、なぜか「ママ」の一語で無抵抗になってしまうのだ。また彼は、物語の冒頭で語られている通り、縄張りを他の勢力に奪われた、斜陽の権威なのだ。しかしグレースに対しては、「私の居場所は絶対に分からない」「15分以上は一秒も待たない」と、完全に姿を隠し、絶対的な命令を下す、神のような存在でもある。そんな彼を、「ママ」の名によって支配するグレースは、「ママの法」という名目で自らの作成した管理体制を布くウィレルムと相通ずるところがあると言えるだろう。

出番は決して多くはないが、非常に印象深い登場人物として、イカサマ師にも注目したい。彼は、白人が黒人を奴隷的な立場に留めおく為に、黒人から金を奪う目的で、彼らを賭け事に誘うことを生業としている。当然、グレースからは軽蔑を受けるのだが、ティモシーの嘘を暴いたり、当の自分自身のイカサマを教えたりと、グレースに対してはイカサマ=騙しと真逆の、真実を告げる使者の役目を果たしている。彼は、ティモシーがギャングたちに在り処を教えて奪ったマンダレイの金を奪い返し、「二割は私が取り、八割は差し上げる」と言った通りにグレースに渡す。彼のグレース対する忠誠心は、彼女がどこまでも白人であり権力者である立場だということを思い起こさせる役目を果たすのだ。

ティモシーが濡れ衣を着せられて鞭打たれそうになるのをグレースが止めに入る所から始まったこの物語は、ティモシーが実際に他人から物を奪ったことへの罰として、グレースが自ら鞭打つという結末に行き着く。その姿を見た父は自らの思想的な勝利を確信して去る。だがグレースは、主人という立場を、閉鎖的な集団の多数者の意思に強いられて押しつけられたのであり、かつてドッグヴィルで奴隷の立場に置かれたことの、逆説的な反復ともなっているのだ。

前作の反復という意味では、最後にグレースが、かつて「ママの法」でティモシーのカテゴリーを見た際に「1」と「7」を見間違えており、自分の望むように見ていたことを悟る場面は、『ドッグヴィル』での、月明かりの変化によってドッグヴィルの人々の姿が全く違った印象に見える場面とのアナロジーを感じる。前作では月明かりという外的要因によって内なる心境が変化していたが、今回は逆に心境の影響で、数字という外的対象を見間違えるというわけだ。

(評価:★4)

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