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[コメント] ロバと王女(1970/仏)

視覚的な面ではやや作りが甘い印象もあるが、この能天気な幸福感、ドヌーヴの柔らかさ清楚さと物語のナンセンスさが結びついた軽やかさは、そう簡単に真似できない筈。設定がシュールな分、演出を牽引する色彩の力が、より純粋な形で発揮されている。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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王女(カトリーヌ・ドヌーヴ)が父王(ジャン・マレー)に、空、月、太陽の色のドレスを求める場面によく表れているように、これは色彩の楽しみの映画。城の家来たちを青や赤で一色に染めるなどといった思いきった配色も、巧くバランスが計られている。更には屋外の場面での、外光の明るさを活かした撮影は、画面を視覚的に幸福感で充たす。そのおかげで、ピンクの花咲く野原を恋人同士で転がるというバカバカしい場面も、実に愛すべきものになる。

色彩という面では、王女が父の城から脱出した後になると、彼女が身にまとうロバの皮の醜さと、黄金に輝く太陽のドレスとのコントラストが演出上の鍵になる。それが上手く活用されているのが、彼女が王子の為にお菓子を焼く場面。ロバの皮をまとっていても可愛らしいドヌーヴと、金色のドレスをまといながらも、素朴な小屋でお菓子を焼いているドヌーヴという、二重三重のギャップがいい。彼女が口ずさむ歌は殆ど菓子の作り方を解説しているだけなのだけど、その無駄のないテキパキ感が場面の軽やかさに一役買ってもいる。

それにしても、ロバは何だか殺され損に見えて気の毒。この物語に無理に教訓のようなものを探す必要も無いのだが、ロバへの哀悼の意味で敢えて考えるなら――王は誰よりも美しい妻=娘を得る為に、宝石を産み落とすロバを殺してしまった訳だが、このロバは、美をもたらす醜。美=王女を手に入れる為に醜=ロバを犠牲にした王は、近親相姦よりもむしろこの罪によって王女を失ったように見える。美を包み込む醜、という点は、“醜いアヒルの子”や“シンデレラ”にも通じるメルヘンの一つの典型なのだろう。

その意味では、指輪が合う女性を王子の結婚相手にする、という場面は、ちょうどシンデレラのガラスの靴と同じものだ。“シンデレラ”の方でも、義姉たちが無理に靴を履こうとして足を切ったりしていたのが思い出される。

(評価:★3)

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