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[コメント] 空中庭園(2005/日)

題名の「空中」に忠実たらんとしたというより視覚的な不安定感によって、人間関係の不安定感を演出することから逃げたとしか思えぬカメラワーク。視覚的には確かに面白いが、タイトルバックのずれたセンスからして悪い意味での違和感が拭えないまま終了。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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今さら『家族ゲーム』もどきかよ、とボヤきたくなる古臭さもさることながら、その上に塗られたホラーテイストがはみ出し気味で、悪い意味で作品のバランスをおかしくしている。

小泉今日子が眼前のバカ女を刺殺することを想像するシーンの、縦の格子をカットに介入させるカット割りや、遠慮なく鮮血を画面に散らす描写、小泉が母(大楠道代)に襲いかかった過去を想起する回想シーンでの、暗い色調や、木造家屋から垂れる水滴など、こうした家族物にホラー映画の文法を多用する演出は一応は興味深いのだが、それが組み合わせの妙を生むには至らず、作品を単なるベタなホラー映画と化しただけなのが詰まらない。小泉が庭で血の雨を浴びるシーンなど噴飯物。画作りが下品だという以上に、心の傷口が開いたことをこうした短絡的な比喩表現で描くというのが、映画的知能指数の低さを露呈して見えてバカバカしいのだ。こんなものは「演出」と呼ぶに値しない。

小泉の母が娘の誕生日を覚えていて病院から電話をかけて祝いの言葉を述べる、そして小泉の夫(板尾創路)と息子(広田雅裕)と娘(鈴木杏)が誕生日の贈り物を手に、小泉が家の扉を開くのを待っている、そうした「誕生日」による一点突破のようなプロットには殆ど説得力が無い。ただひとつ面白いと思えたのはラストカットで、小泉が開いた扉の向こうに立っている家族三人は皆、黒い服を着ており、息子の手にある花も娘の手にあるクマのヌイグルミも白、と何やら葬式じみている。夫が手に持っているケーキの箱も、骨壷を入れた箱ではないかと思えてしまう。小泉の母が病気で死ぬかも知れない状況にあることと考え合わせれば、単純なハッピーエンドではない含みを持たせているようにも思えるのだが、単に演出上の匙加減を間違えてホラーから抜け出せなかっただけではないかとも思える。結局、全ては小泉と母との関係性(更にこれは「誕生日」によって代理される)に集約されてしまい、彼女自身の家族との関係性は安直かつ抽象的な形で収束してしまうのが説得力を欠く。

瑛太の演じた人物の台詞なり人物造形なりは、一体これは何気取りなのかと言いたくなる。その登場の意味そのものすら希薄に感じられる。全篇を通して、軽薄で無思慮で空虚な人物たちが横行しているのだが、彼らが最後に一応の到達点とも称しうる所に収束することの意味もまた、空虚さが空虚さのまま投げ出されたままの人物描写のせいで、曖昧かつどうでもいい物としか映じない。息子が部屋のパソコンに自分たちの生活環境をコンピュータ・グラフィックスで再現してみせているのも、空虚な箱庭感を何となく視覚化してみせている程度の話であり、この映画そのものが人物を含めて空虚なことと一致しすぎて平板な画にしかなっていない。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)寒山拾得[*]

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