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[コメント] 交渉人 真下正義(2005/日)

「封鎖できません!」再び。だが、演出も演技も脚本も、何もかもが作り物めいている。冒頭の、玩具の電車模型が走る場面は、この映画自体の子供っぽさと吊り合ってしまっている。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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劇中に頻出するカラスは、本広監督の尊敬する、押井守監督の作品『パトレイバー』の暗喩にしかなっておらず、当の『パトレイバー』でカラスが担っていた‘天上から人間たちを見下ろす神’に自らを擬する人間、というような、重みのある暗喩になっていない。単に押井監督にウィンクして見せているだけのような、気色の悪い事になっている。

押井監督へのオマージュを捧げるつもりであれば、ここは黒い犬にでもしておくべきだった。人間たちの群れから疎外される匿名の存在、という意味でも込めて。そもそも、犯人が地下鉄を凶器に使っている時点で、カラスや鳥との繋がりが希薄、というか皆無。『パトレイバー』では、劇場版の二作共に、空間的な高さが、演出としても、主題としても、きちんと織り込まれていたからこそ、鳥の存在に必然性があったのだ。

加えて押井監督は、その垂直的視点に対抗する地下茎的なものとの対比を、組織論や戦略論、都市論その他の観点から幾重にも深読みできるように仕組んでいたように感じられるのだが、この『真下正義』は、徒に『パトレイバー』の表面を撫でまわすのみで、自分では何も生んでいないのだ。これはもう、浅いとすら言い難い皮相さ。

他、鉄道を使ったテロと音楽のリンクという点は、『皇帝のいない八月』が想定されていたのかも知れない。シンバルと犯行との関係では、例の巨匠のアレが…。だが、こんな不出来な映画の為に、ネタバレ的に言及したくない。この映画の嫌な所は、「これ、何の映画のネタだか、知ってる?そうそう、アレだよ」という、制作者側と同じく映画好きである観客に、馴れ馴れしくもたれかかって来るような感触がある事だ。まさに、真下に映画絡みのトリビア・クイズを仕掛けてくる犯人そのもの。劇中、やたら「クリスマス」を強調するのは『ダイ・ハード』ネタですか?と思わずノッてしまうこっちも悪いのだが…。

正直、この映画の登場人物たちの間に感じられる、妙に馴れ合い的な雰囲気にも、強い拒否感を覚える。喧嘩し、言い合っている場面ですら、何だか仲間内で盛り上がっている空気が漂う。石井正則の演じる広報主任がいない方が、國村隼の率いる鉄道職員たちとのピリピリした関係性が表れて、一本芯の通った緊張感が備わったように思うのだが。鉄道の専門知識を真下に、と同時に観客に説明する役割としてはあの広報主任が必要だったのだろうけど、脇線の秘密を簡単に漏らす等、真下と國村の間に生じ得る摩擦をいちいち回避させ、緊張感を殺ぎすぎているように感じられた。

真下の交渉術も、どこかで見たようなテクニックばかりで、この映画独自の捻りを利かせた所が無いのが、面白味に欠ける。幾つもの線が交叉し、入り組んだ鉄道網という、物理的な複雑さと、姿の見えぬ犯人との駆け引きという、心理的複雑さ。それにも関わらず、知的昂奮というものが湧き上がってこない。物理的複雑さによるサスペンスとしては、管制室という閉鎖空間を舞台にしているという共通性も含めて、『グランドコントロール 乱気流』の方が、見た目は地味だが映画としては勝っている。クドイほどに大御所ぶる線引屋の何が凄いのかサッパリ伝わらないままで終わらせた脚本の弱さはどうしようもない。あれではただの人情家のオヤジじゃないか。ただ、心理戦という所では、唯一、終盤に真下が、犯人の自尊心を逆手にとる形で、「クモE4-600はプラス1を通っている」事を確認する場面がちょっと巧い。だがこの場面はまた、犯人の冷静さを欠いた性格や、割と単純な手に引っかかる馬鹿さ加減をも露わにしている。

鉄道やコンピューターなど、数理的に処理できる事には長けていても、心理的には幼稚で、やや子供騙しに近い手に引っかかってしまう、という犯人像も、それはそれでアリなのだが、死人に成りすましてまで徹底的な匿名性を身にまとう者、という黒い存在感も漂わせる犯人が、こんなカリスマ性に乏しい人間であって良いんだろうか。ショボイ人間による、身の丈に合っていないような凶悪な犯罪、という事から醸し出される悲惨さ、皮肉、などというものも、特に感じさせられなかった。他の『踊る』や、原案の君島さんのドラマ『TEAM』では、そういうギャップから来る苦い後味を、それなりに見せてくれていたのに、釈然としない。

ただ、これはちょっと良いなと思ったのは、自爆する直前の犯人が、真下の姿を近くから確認するかのように、何度か車を止めた所。孤独な存在だというプロファイリングをされていた犯人が、唯一深い会話を交わした存在かも知れない真下に対し、まるで、旅立つ前に何度も振り返るような様子を見せるのは、なかなか良いんじゃないかと思った。しかも、真下が近くにいる状態で爆発させる事もできた筈なのに、真下から離れて爆発するというのが、また。わざとらしい、ガチャガチャとした演出が多いこの映画の中で、この無言の心理描写は白眉。

あの炎上した車から遺体が発見されたとしても、それが犯人のものとは限らない。誰かを殺して車に入れておいただけで、車自体は遠隔操作していた可能性もある(クモを遠隔操作で暴走させていたように)。そうして、車内に設置しておいたカメラを通して、真下の姿を至近距離から観察していたのかも知れない。声のトリックに関して言えば、既に死んでいた筈のイタズラ電話犯の、双子の兄弟が犯人というのも一つの可能性。或いは、イタズラ電話犯の声に変換済みの音声をスピーカーから出してマイクに当てていた、等。いずれにせよ、非常にその身体性が曖昧な犯人なのだ。劇中の映像としても、声の調子や、視線と指先でしか身体性を示さない犯人。

犯人は、目と手という、オタク的に局限された身体性によって、地下の鉄道網、郵便配達、電波、インターネット等、都市の機能を自らの巣として支配する蜘蛛のような存在になる。クモに脇線を通らせて、管制室のモニターから消える辺りも、無名で匿名の人間が、政治家という、システム側、権力側の人間が身の安全の為に身を隠す仕組みを逆手にとって、彼自身がそうである「他者から見られない存在」になりおおせる訳であり、この逆転の仕方が面白い所。とは言え、こういった面白げな要素はことごとく不発に終わっており、ドタバタとしたバラエティー的雰囲気しか印象に残らない。映画というよりは、映画風に大仰に騒ぎ立てるテレビドラマという印象。むしろ映画は、長尺で大画面であるからこそ、微妙で絶妙な技が用いられて良い表現形式なのでは?

この映画、どうやらジャンボ機を使った続編を制作するという話も出ているようで、ひょっとしたら今回は必然性の希薄だったカラスも、続編への布石だったのかも知れない。『ダイ・ハード2』も飛行機ネタだった事だし、次回もやっぱり、クリスマス?押井つながりでは、きっと『スカイ・クロラ』の何がしかをパクるのだろう…。ジャンボを使えば、地上の人間を人質に出来るから、君島さんの『恋人はスナイパー 劇場版』みたいに「全国民が人質だ」がやれるしね。

と、色々妄想予想を書き連ねてしまうのは、続編に期待が膨らむというよりは、余りにも既存の映画のツギハギであるこの映画に全く満足していないから(特に『パトレイバー』は、根幹の所までパクりすぎだろう)。一個の独立した映画というよりは、『踊る』シリーズに寄りかかりつつ、他の既存の映画にも寄りかかった、劇中の犯人以上に匿名的で幽霊的な映画モドキだった。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] Myurakz[*]

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