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[コメント] バイオレント・サタデー(1983/米)

“shot”の応酬。暴力的な映像以前に、映像が暴力的な破壊と侵入であるということ。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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見る、聞く、或いは見せる、聞かせるということがそのまま相手に対する攻撃、脅迫となるということ。銃撃戦や激しいアクションが始まる前から、ショットの応酬による闘いは全編に渡って行われているのだ。

ニュース・キャスターであるタナーのプライベート空間である自宅が、FBIという公権力の監視の舞台となるという逆転的な状況が、この映画の肝だと言える。複数配置されたカメラによる盗撮盗聴を行なうFBI捜査官ファセットが、指先一つで画面を切り替える姿は、ザッピング中毒の視聴者のようでもあり、自在に編集を行なうディレクターのようでもある。

当のこの映画自体、絶妙に時間軸を交錯させた編集によって、眼前の映像が疑わしく見える演出を行なっている。タナーがついさっきまで見ていた隠し撮り映像ではタナーのことを疑っていた友人が、今、目の前では笑顔を向けているという場面では、隠し録りの音声が挿入され、タナーが友人への疑惑を引きずっている心境が感じとれる。また、この友人たちがプールでふざけ合っている姿は監視カメラの映像だと思っていたら、居間で彼ら自身が観ているホームビデオであったりする。

ファセットがスイッチを切り替えるのに合わせて、映画そのもののショットが切り替わったりと、観客を彼の共犯者にする仕掛けが随所にある。彼が監視カメラを見ながら大リーグ中継にチャンネルを合わせ、現実の殺し合いを‘ながら見’する場面では、このすぐ後でタナーは、武器として野球のバットを手にするのだ。

ファセットがタナーとテレビを通して通信し合っている時に、部屋に友人たちがやって来、機械の不調で画面が切れなくなったファセットが天気予報を装う場面は大いに笑わせてもらったが、この場面でもう一つ面白いのは、皆が部屋から出て行った後も天気予報を続けるファセットが映し出されたテレビを、タナーが簡単にスイッチ一つで切ることだ。ここにも本作の突きつける問い「あなたは自由意志に基づいてテレビのスイッチを切れるか?」が皮肉な形で仄めかされているのではないか。また、本来は一方的に視聴者側が見る対象である筈のテレビが逆にこちらを見、話しかけてくるという逆転的な構図にも主題の表れが認められるだろう。

それにしても、このファセットの天気予報の、「あ、臨時ニュースが入りました」と彼が横に置いてある紙を手にする場面で、なぜかカメラが彼の手の動きを追うのは、ペキンパーがつい無意識にやってしまったのだろうか?ファセットを映しているのは、彼が一人で使っているモニター室の据え置きカメラの筈だから、カメラを動かす者などいない筈なのだが。

(評価:★4)

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