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[コメント] ワイルドバンチ(1969/米)

魂の殉教者たち。
たわば

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この物語の一連の流れを振り返ると、聖書にあるイエス・キリストの道行きを踏襲しているように見える。

ワイルド・バンチは最初の襲撃に失敗し、国境の川を渡りメキシコに行く。言わばこれはキリストの洗礼にあたる。そして荒野の村を転々とし、山賊上がりの残忍な将軍に出会い、彼に加担する。これはキリストが荒れ地で受けた悪魔の誘惑。うまくいくかに見えたが、殺した女の母親の密告により、エンジェルは捕まってしまう。これはユダの裏切り。彼らは最後の晩餐(女を抱くこと)を済ませ、エンジェル救出に向かうが、彼はマパッチに殺されてしまう。これがキリストの磔。聖書ではキリストなき後、残された4人の弟子が伝道者となり福音書を書く。ワイルド・バンチも魂の伝道者となり、非道な村人たちに銃弾の教えを説いてまわり、血の福音書を書く(笑)。そしてその一部始終を目撃していたソーントンの心の中に、死んでいた魂が復活する。

もちろんこの映画に宗教色はない。なにしろ映画の冒頭では、禁酒を説いていたキリスト教徒たちが虫けらのように殺され、馬で踏みつけられてしまうのだ。だが、禁酒パレードの場面で歌われていた歌詞に注目してみると、「河辺に集いて、天使とともに、神の道(川)を進もう」とある。実際ワイルド・バンチは、襲撃失敗から逃げる時、川を渡っている。それもエンジェルと共にである。そして彼らがクライマックスで、戦いに向かって四人で行進する姿は、まるで冒頭のキリスト教徒たちのパレードのようではないか。

さらにパイクは、最期の戦いの前に娼婦の部屋でエンジェル奪還を決心するのだが、この場面の彼の後ろにははっきりと十字架が見えている。もちろん彼らがキリスト教に目覚めたわけではない。聖書における五つの罪(殺人、窃盗、姦淫、偽証、略奪)のすべてを犯してきたワイルド・バンチであったが、そんな彼らにも人として譲れないものがあったのだ。

もともと彼らは非情ではあったが、彼らは決してケダモノではなかった。そんな彼らが出会ったのは、彼らより酷いケダモノたち。まずは銀の輸送話で罠を仕掛けた鉄道主任ハリガン。彼はパイク一味を捕まえることに執念を抱いており、そのためには市民の犠牲も厭わない。そして彼によって集められた囚人であるバウンティ・ハンターたち。彼らは死体に群がり金目のものを奪い取るハゲタカだ。次にエンジェルの元カノ。エンジェルを裏切り、よりによって彼の父の仇でもあるマパッチの情婦になるのはいかがなものか。最期にマパッチ。彼は貧しい村を略奪し、人を吊るす。そしてエンジェルを車で市中引きずり回しの刑に処す残虐な行為は、もはやケダモノと言われても仕方がなく、それに同調した村人も同罪である。

ではワイルド・バンチはどうか。リーダーのパイクはゴーチ兄弟に言う。「力を合わすことができなければただのケダモノだ」と。つまり彼らの中にも人としての最低限のルールがあり、彼らなりに越えてはならない人の道があったのだ。冒頭で市民を大勢巻き込んでおいて、人の道も何もあったもんではないが、それとて彼らが殺そうと望んだものではない。彼らはあるルールに基づいて行動しており、それに従わなかった者に対してのみに実力を行使しているにすぎないのだ。彼らは野蛮で粗野であるが、決してケダモノではなく、少ないなりに人間らしい心を失ってはいないのだ。

それでも重傷を負った仲間を見捨ててきた彼らであったが、エンジェルの場合は違った。一度は救出をあきらめたものの、彼の無残な姿を見て葛藤する。エンジェルは武器強奪の時にダッチの危機を救っており、インディオに武器を渡す時にも、その気になればパイクたちを皆殺しにして武器を全部横取りすることもできたのに、彼は律義に約束を守った。さらに武器の横流しがばれた時、罪を一人で被り、仲間に迷惑をかけなかった。彼は最期まで仲間を裏切ることはしなかったのだ。そんな彼だからこそ、パイクたちの心を揺さぶり、救出を決意させたのだ。そんな四人が並んで行進するバックに流れるメキシコの歌。情緒的なメロディだがその内容は、「兄に言い寄られた美しい娘が、一緒になるくらいなら死んだほうがマシ」という、いささかきわどい歌である。つまり人には最低限やってはいけないことがあり、それを守れなければケダモノと同じだという歌なのだ。

ワイルド・バンチには宗教など関係なく、信仰心もない。だが己の信じた道に殉じた彼らは、言わば魂の殉教者であり、その点において彼らは信仰のない聖者だったとは言えまいか。人にはそれぞれ、これが正しいと思える道があり、その自分の信じた道に生きることこそ人の道なのだと教えられた気がした。そしてそんな私は、今でも敬虔な「ワイルド・バンチ」の信者である。(2007.6.30)

(評価:★5)

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