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[コメント] 自転車泥棒(1948/伊)

モノが有り余る現代。修理より買い換えを選び、なくなったらすぐに買い直す。モノに対して執着心が薄れつつある時代。そんな中で、この映画に感動できる自分がほんの少しだけ誇らしい。
Ribot

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 話は変わるが、劇中ずっと不思議に思ったことがある。父親の行動が何とも腑に落ちなかったからだ。それは、父親が子供の手を引く場面が非常に少なかったことだ。(素人俳優のためか、父親の手が若干遊んでいるため、余計に気になる。)

 あんなに歩き続けるなか、子供が転ばないだろうかとか、単にかわいいから手をつなごう、そういう発想があの父親にはなかったのだろうか。

 手をつなぐというのは、肉体的コミュニケーションの基本であろう。それは恋人同士であっても本質的には変わりない。この父親はそういうコミュニケーションをとろうとしない。これはどういうことか?

 盗まれた自転車のことで頭がいっぱいで子供にかまける余裕がなかった、というのはひとつの解釈ではあるが、そんな薄情な父親ではないだろう。

 答えはやはりラストシーンにあった。周囲から非難の集中砲火を浴び、自己嫌悪と悔恨の情でいっぱいの父親。その父親に手を差しのべる子供。父親はその手をしっかり握る。その瞬間、父親と子供の立場が逆転しているように思う。このシーンをより鮮烈にするために、父親と子供は手をつながなかったのだ。言い換えれば、父親が子供の手を引かなかったのは父親自身の意志ではなく、デ・シーカ監督の意志だったとも言える。

 このシーンを撮りたいがためにデ・シーカは『自転車泥棒』を作ったと言ったら、さすがに極論に過ぎるだろうか?

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)Myurakz[*] ギスジ[*] ゼロゼロUFO

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