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[コメント] GO(2001/日)

あーちくしょう。桜井家で日本についてオタクに語り出す杉原、こりゃあ俺だ。やられた!いわゆる「在日」映画にしておくのもったいない。これは要するに、標準語的ニッポンに同化できない非トーキョー馬の骨どもの映画なんだ。作り手はそれをわかってると思う。だから杉原は恋愛映画だって再三言ってるんだよー。それに、
ロープブレーク

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在日って歴史的な所産ですよね。従ってそれをテーマにした作品も世代によって受け止め方は多様であることはしかたありません。原作者、監督と1才違い、脚本家とは3つ違いの自分にはド真ん中に来た。映画に時間を超越した普遍性を求めることも重要だけど、時間を超えたら在日の叫びは消えてしまう。それは分かって欲しい。

僕らが中高生だった80年代、凡庸は敵だった。枠にはめて物事を考えることは悪だった。たのきんトリオに熱中しているクラスメイトを横目にゲルニカを聞く彼女は女神だった。戸川純の歌うパンク蛹化の女は最高だった。桜井はそんな時代の理想を生きている。差別は凡庸だ。なぜなら個を見る前にくくっちゃうことだから。自分をくくろうとする世間に凡庸なことすんなと爪を立てる女には、自分が凡庸の側に与する行動を取ることは自殺に等しい。自殺は死を生との二元論で考える凡庸な行為だ。あの時代の(一部の)男女は、こんな理屈を、理屈じゃなしに皮膚感覚で共有していた。恋愛のエネルギーは至上だったし。だから桜井は在日アレルギーを克服できたのだ、と思う。

「ロックには悪いものもあれば良いものもある」当時はやったスネークマンショーのフレーズだ。僕らは個を見てほしかった。個を見たかった。僕らは「ロック」を何にでも置き換えた。もちろん「在日」とも、「日本人」とも「日本」とも「世界」とも。

いいんだよ、結局どんな生き方だって、凡庸じゃなければ。杉原は素敵だし、ジョンイル(この俳優は凄くうまい)も素敵だし、それをまとめて在日と呼ぶのは野暮の骨頂、凡庸の極み。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)林田乃丞 けにろん[*] tkcrows[*] ぽんしゅう[*] ボイス母[*]

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