[コメント] 鬼火(1963/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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見終わった直後は、アル中によるED(勃起不全症候群)に真正面から向き合うことのできなかった老けた30男の自滅物語を見せられただけと思い、後悔の念さえあった。「自然の力」がなくても優しい女たちに、結局、独りよがりの男は心を開くこともなくあてつけて死ぬ。女たちにとってあんまりな話をあくまで自己中の男を主人公に描き出す。この閉鎖性が、この映画の魅力であり価値なのだろうが、それゆえに、主人公に感情移入できない。したがって、最初の評価は大変低かった。
ところが、数日して、この不快さに意味を感じる自分に気づいた。
男根を男根主義の象徴としてみれば、このどうしようもない男、アランは、実は自分の中にもいたのだ、と。
チンコが立たない、をあらゆる男根主義の例にあてはめてみよう。
稼ぎが少ない、(スポーツが或いは運転が、楽器の演奏が)へたくそ、出世が遅い、成績が悪い、etc.etc...
そんなこと(全部だったらさすがに困るが)、女にとっては意外とどうでもいいことだったりするのだ。ところが、己のたたなさに閉じこもる男は、女を気にしているのではなく、実は、自分のアタマにこさえた矮小な女(ここでは男根主義に対応させた象徴的な意味で男性の友人も含む)の幻影を気にしているのだ。それに気づかず人生を完結する男は、みじめで、滑稽で、哀れで、バカで、有害で、無意味だ。
愛されていることに向き合えば、やがて、自然の力も復活するかも知れない。
アランをもって、他山の石とせよ。 そう思ったとき、この映画は小生にとってかけがえのない贈り物になった。
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