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[コメント] アナと雪の女王(2013/米)

自己肯定の映画だと思って観に行ったんだが、これは自己否定の映画なんじゃないか?
ロープブレーク

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







見に行った友人の話しを聞いて、勝手に抑圧と解放の物語だと思っていました。松たか子の歌はいいけれど、日本語詩は「ありのままの自分になって♪」でレリゴーがLet it be! になっちゃってるよ、なんてことも聞いていたので、映画館に入る前に勝手に主題歌の日本語私訳作ったりして盛り上がっていました(せっかく作ったので最後に載っけます)。幼稚園の娘には、空気なんて読まずに能力を思い存分発揮するような子供になってほしいから、この映画はぴったりだなーなんて思って、妻と娘といそいそと映画館にでかけて行きました。

でも、そういう映画ではなかった。これは徹頭徹尾自己否定の映画なんじゃないのか?

アナと雪の女王』は、ディズニーのセルフパロディーのオンパレードです。運命の王子は悪人。魔法は運命の人のキスで解けるのではない。本当の運命の人はにおいが臭い。それに白馬じゃなくてトナカイに乗ってやってくる。トナカイと言えばサンタだが、このサンタはプレゼントをもらう方だ(最後のソリのシーンを言ってます)。主人公は、魔法をかけられた方じゃなく、どちらかと言えば魔法をかけた方。真実の愛は男女の愛じゃなくて姉妹愛。etc.etc.

ここまで定石外しばかり連続させるのは、セルフパロディーの域を超えて自己否定なのではないのか?ひょっとしてディズニーは、未来を創るためにはスクラップアンドビルドが必要だと考えて、これまでの自分たちの歴史を一生懸命スクラップにし始めたのではないだろうか?

しかも、このディズニー映画が否定しているのは自分たちディズニーの歴史だけではないようだ。アメリカ人そのものを否定したがっているような節があります。

この映画の主要人物たちは女も男もみな意志と主体性に欠けています。アナは王国の夏を取り戻すのに最初から他の方法を考えることなく姉の能力のみをあてにする。姉のエルサは王子に監禁されることによって自分の意志ではなく王国に帰り、凍って無機物のようになったアナを抱きしめることによって愛を解放する(アナが生き生きと動いているうちに心の交流に一歩踏み出すことがない)。王子は最初から逆玉狙いの上(受け身!)、アナが死ぬと確信してから突如悪事を実行し始める(棚ぼたから悪事)。クリストフはトナカイに促されないと愛のための行動が取れない!

はた迷惑なまでに自意識過剰で主体的なのがアメリカ人だったのではないでしょうか。ディズニーが『アナと雪の女王』で否定したかったのは、アメリカ人という物語そのものだったのか??? そう思い至ったら、映画館で急に心が冷えてきてしまいました。

以前にレディー・ガガのドキュメンタリーを見たときに、ステージを降りているときのガガがめそめそ泣くシーンがあまりに多いのでとまどったことがあります。今のアメリカ人は、男も女もマッチョをやめたがっているのかも。911は、世界貿易センタービルだけでなく、アメリカ人の心もへし折ってしまったということなのでしょうか?もしこのようなディズニーの思いが911以降のアメリカに不偏に広がっているものだとしたら、オバマを大統領に選んだのも、マーチンルーサーキングの夢の実現なんかじゃなくてWASP国家の自己否定の結果なのだと言えてしまう?それは心が寒い!

閑話休題。先に、スクラップアンドビルドと書きました。ではこの映画でビルドにつながる何かは提示されているのでしょうか。

それを考えてみるために、この映画最大のスクラップのシーンを考えてみます。最初に主題歌「ありのままに♪」(レリゴーの歌)が流れるシーンでは、エルサは自己の孤独の選択と能力の解放を同時に達成します。このシーンは、抑圧された自我を解放し、自分の能力を最大限に発揮しても問題は何も解決しないということを象徴しています。

エルサは自分の能力によって妹を傷つけてから引きこもりになったので、エルサが解決したいのは、人を傷つけない自己の能力の発揮の仕方であるはずなのですが、歌にあるように、自分の引きこもりを親からの抑圧の結果と捉えたために、抑圧からの解放を主体的に選択し(トラウマを超克)、雪の女王となるくらいまで自分の潜在能力を最大限に発揮(自己啓発MAX)しても、本来の問題解決になっていない上に、他者からは、孤独(精神の自由の結果)は引きこもり(親の抑圧の結果)と区別がついていません。

つまりこのシーンは、自己解放と自己啓発の否定になっています。メイドインアメリカの2つの成功理論が、問題の本質的解決には何も効果がないとディズニーは子供たちに説いているわけです(綺麗な氷のお城が建つだけなんです)。主題歌のシーンということは、この映画の主題がこの種のアメリカ式個人強化主義をスクラップにすることだと考えてもいいのかもしれません。

さて、エルサは様々な他人の行為の結果にのっかることで(王子に王国に引き戻されたり、アナの献身行為などの結果として)、偶然に愛が問題解決の手段であることを理解し、その応用として王国全土に愛を振り向けることで王国の雪解けを達成し、映画は終わります。

アメリカ式個人強化主義を否定し、領域内へ愛を行き届けることがディズニーにとってのビルドだということなのかもしれません。自己解放と自己啓発の否定はいいと思います(うさんくさいし『オースティン・パワーズ』のシリーズなんかでもネタとしてやってる)。しかし、ついでに個人の主体性を放棄して、孤立主義よろしく自国内への愛を解決だと謳うというのはどうなんでしょう。それがこれからのありのままの姿の提示なのだとしたら、あまりに弱く危うくはないでしょうか?子供向けの映画だからこそ、作り手の未来に対する意識無意識の思いが結晶化してしまうところがあると思います。それが全米だけでなく日本でもこれほど大絶賛され大ヒットするとは…。いや、単純に松たか子の歌の力にみんなが痺れたってことですよね。ディズニーのアニメの作画力はやっぱり素晴らしいし。

娘はといえば「エルサ好き。だって魔法使えるんだもん。」と無邪気です。親は余計な心配をせず、子供を育て続けるしかありませんね。ともあれ、「ディズニーはマーベルを買収したんだし、次回作ではエルサはX-men入りだね!」とか毒づいたコメントにならなかったのは、娘の力によって私も少しだけディズニーの魔法にかかってしまったからかもしれません。

(2014/6/21 ユナイテッドシネマとしまえんにて吹き替え版鑑賞)

■おまけ(私訳Let it go)

The snow glows white on the mountain tonight Not a footprint to be seen A kingdom of isolation, and it looks like I’m the Queen The wind is howling like this swirling storm inside Couldn’t keep it in; Heaven knows I’ve tried

今夜、この山を雪が白く染め上げる 足跡一つ見えなくなる 孤独の王国 そして私はその女王となるんだわ 風は私の中のこの逆巻く嵐のように唸りを上げてる どうしてもどうしても抑えておけなかった  天国は私が頑張ってきたことを知ってるわ

Don’t let them in, don’t let them see Be the good girl you always have to be Conceal, don’t feel, don’t let them know Well now they know

他人を入れてはいけない、他人に見せてはいけない いつも隠してなければダメよい子でいなさい 感じてはダメ 知られちゃいけない でも もう 知られてしまった

Let it go, let it go Can’t hold it back any more Let it go, let it go Turn away and slam the door I don’t care what they’re going to say Let the storm rage on The cold never bothered me anyway

全開よ 全開よ どうしてももうこれ以上我慢できないわ 行っちゃえ 行っちゃえ にべもなく扉をピシャリと閉めてしまえ 誰が何を言おうと知ったこっちゃないわ 嵐よ吹き狂え! 寒さに凍えたことなんてまるでないもの

It’s funny how some distance Makes everything seem small And the fears that once controlled me Can’t get to me at all

こんなちょっとした距離が、全てを小さく見せちゃうのって おかしいわね これまで私を振り回していた恐れは、もう私には届かない

It’s time to see what I can do To test the limits and break through No right, no wrong, no rules for me, I’m free!

限界を試し打ち破るために私が何をできるか、いまわかるわ 私には善も、悪も、規則もない 私は自由なの!

Let it go, let it go I am one with the wind and sky Let it go, let it go You’ll never see me cry Here I stand And here I’ll stay Let the storm rage on

全開よ 全開よ 私は風と空とともにある たぎってるわ 行っちゃうわバカヤロー もう私が泣くところを見ることはないわ ここに私は立つ 私はここに居るわ 嵐よ吹き狂え!

My power flurries through the air into the ground My soul is spiraling in frozen fractals all around And one thought crystallizes like an icy blast I’m never going back, the past is in the past

私の力は果てるまで大気を震わせるわ 私の魂はあたり一面の雪の結晶の中に渦巻くの そして思いが氷の爆発のように一瞬にして結晶となる 決して後戻りしないわ 過去は過去に置いていく

Let it go, let it go And I’ll rise like the break of dawn Let it go, let it go That perfect girl is gone Here I stand In the light of day Let the storm rage on The cold never bothered me anyway!

全開よ 全開よ 私は夜明けのように立ち上がるわ 全開よ 全開よ あの完璧な女の子はもういない 愛と栄光の光の中 ここにいるのは私 嵐よ吹き狂え 寒さに凍えたことなんてまるでないわ!

(評価:★3)

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