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[コメント] マッドマックス 怒りのデス・ロード(2015/豪)

この映画に「主役」というものがあるとしたら、それは「ウォータンク」ではないだろうか。
シーチキン

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







これが映画を見た当日に感じたコメントなんだが→「見ているうちに、脳味噌がすっからかんになって、生きる悦びとパワーを貪っているような映画。これ、一人で見てたら絶対、「うおぉぉぉぉっ!」と叫び声をあげてたと思う。」

私は劇場公開終了間際に映画館で見たので何回も見ることはできなかったが、この頃は便利なもので、ネットではクライマックスとかハイライトのシーンを動画で見ることができる。もちろん、それらには日本語字幕はついていないのだが、幸いにして本作は台詞の正確な意味が判らなくても、その場の雰囲気と勢いで大体の事がわかる映画でもあるのだ。

で、それを思い出したように見ながら気が付いたことを記すのがこのコメントだ。

まずその最初のきっかけというか、これは劇場で見ていても感じたのだが、前半にバイク集団の襲撃を受けてウォータンクのフロントが炎上した時にシャーリーズ・セロンが、タンクの前バンパー部を下に降ろして砂を巻き上げて消火したシーンだ。

これは燃え上がる炎に砂をかけて消火する=酸素の供給を断つという理にかなった消火方法なのだが、その砂をかぶる間、フロント部に突き出した外気をエンジンに強制的に送り込むための「スーパーチャージャー」は巻き上げられた砂を吸い込まないために、おそらくその吸入口部分にフタをする仕組みになっているのだろう。

だから消火して砂を巻き上げる前バンパー部を元に戻すと自動でそのフタが開いて再び、外気吸入が開始される。本作はその場面を短い間ではあるが、しっかりと派手な効果音「シュゴッー」と共に見せてくれる。

この場面、まるで砂をかぶっている間は息を止めていて、砂が無くなると同時にまるで空気に飢えていたかのように思いっきり空気を吸い込む「生き物」のように見えませんでしたか?

そう思い出すと、この映画全体が最初から最後まで、すべてウォータンクありきの映画に思えませんか。 そもそもフェオリサがジョーを裏切る決意をしたのも、このウォータンクなら逃げ切れると判断したからではないですか。そして実際、最初の逃避行で彼女らが無事に逃げおおせたのも砂嵐に突入したからだし、砂嵐に突入しても無事だった自動車はウォータンクだけなんですね。

さらに最初のバイク集団との闘いでは、おそらくガソリンを詰めていた後続部分、つまり自らの身体の一部を犠牲にしてまで逃げおおせ、泥濘の砂浜では、人間は自由に動けるのにウォータンクだけは動けない、だけどみなウォータンクを置いて歩いて、または走って進もうとはしないんですよね。

そして女バイク集団との邂逅の後、なんとウォータンクは一度は見捨てられるんですよ。みんなバイクに乗っちゃうんですよ。ひどいですねー、でも自動車だからそれについて泣き言も恨み言も全然、ないの。これって男女の区別を超越した「漢」(オトコって読んでいいですか?)じゃないですか。

その中で、まあマックスだけが、ウォータンクなら西の砦まで戻ってそれを奪えるというわけですよね。これはさすがに、本作のメインタイトルを飾る男の一言ですよね。

そしていよいよクライマックス、一行が再び戻るシーン、ここではもう言葉はいらないですね。ひたすら疾走するウォータンク!最初にニトロで活を入れられて、へたっても直に修理してくれる、そういう「仲間」の、これはなんというの?「友情」?「絆」?「信頼」?そういうものを全身に感じながらひたすら疾走する。

そしていよいよラスト、その「仲間」は一人を除いてみな別の車に、そうこれはただの車なのよね、それに乗り移っていく。でもそれを当然だと思って最後の最後は、その「仲間」のために自らを犠牲にする。

もうここまでくれば、この映画が生き残った者たちのためにハッピーエンドで終わるのは当たり前ではないだろうか。

あとね、この映画、見終わった後に、最も語りたくなる映画ではないですか。最も「かっこえーーーーっ」と感じる映画ではないですか。少なくとも私はそう思いました。

(評価:★5)

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