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[コメント] アバター(2009/米)

ある法則にのっとって構成された世界をつくり上げ、そこを舞台にするという本格SF映画にして、流石はキャメロン監督と改めて感心するほど確かな演出で最上級の娯楽大作に仕上がっている。だが「3D上映というのはそんなにいいのか?」という気もする。
シーチキン

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ヌートリアさんもご指摘の通り3Dメガネを通してみると、スクリーン上の映像よりも、全体として暗くなるし、鮮やかさが失われて色彩は数段落ちる。おまけに私は普通の眼鏡をかけていてその上からの3Dメガネだからストレスを感じて時々は3Dメガネを外してスクリーンを眺めていた。

その時、本当に色鮮やかな「衛星パンドラ」の世界のきれいさには驚いた。まさに別世界での物語だなあと実感させるだけの美しさがあった。そういうものを多少なりとも減じさせる3Dメガネにはやはりうっとうしさがある。

だが、本作に限ってみれば3Dメガネを抜きに普通に見ていたら、時としてアバターとかナヴィ族は、ただのアニメーションに見えてしまう。そのきれいさ、色彩感があだになるのかどうかはわからないが、少なくとも本作ではこの3Dメガネには、絵に描いたアニメのように見えてしまうのを防いで、リアルに見えさせるという効果はあるのかもしれない。

でも、本作のような本格SFとして一つの世界をつくり上げることに成功した映画であれば、私はそういう見た目のリアルさにはこだわらないから、高い金払わんでも割引サービスが利用できる2D版でも良かったかなという、壮大な作品にあまり相応しくないみみっちい思いがしたのは事実だ。

物語の方は、その骨格は確かにどこかで見たような、聞いたような話になっているし、『風の谷のナウシカ』で『もののけ姫』で、伝説のアイテムを使いこなす勇者にしてリーダーということなら「アーサー王伝説」で、というのもわからんでもないが、そういう前例とみなされる作品にしても、それが出た時には、それが初めて見聞きした展開だというわけではなかったと思うから、それはいい。

それよりもその物語を盛り上げるための演出の水準こそ評価されるべきだと思う。要所要所ではぐっとこさせる盛り上げ方がここまで出来る監督はそうはいない。個人的には、主役のアバターがホームツリーへの攻撃直前に、縛りつけられていたのをヒロインの母親が「仲間なら助けて」と縄を切るシーンで、ベタだけどグッときた。

またピカレスクロマン漂う悪役も非常に良い。あの大佐あったればこそ、主役の迷いとか、終盤の盛り上がりがあった。良い敵役の存在は良い映画には不可欠だ。この点でもやっぱりキャメロン監督は凄いと思う。

そして私が本作で一番凄いと思うのは、この映画がある法則にのっとって、一つの世界をつくり上げるという本格SFとして存分に楽しませてくれたことだ。

衛星パンドラの見た目だけでなく、そういう世界に発生した生物種の形態や、知的生物がつくり上げる文化などなど。事細かに突っ込めば穴を見つけることは難しくないが、それでもこういう生態系、また特性があるのならこういう文化を持つ種族がこういう諸活動をおこなっているだろうという、空想をとことんまで広げて世界をつくり上げたと思う。

そしてその要は、おそらくは樹木による擬似神経ネットワークというアイディアなのだろう。

人間の思考活動の物資的基盤を、身も蓋もない言い方で言えば大脳細胞間の電気信号のやりとり、ということになる。これをSFの世界では拡大解釈と空想を重ね合わせて、特定の物質間、拠点間で電気信号のやりとりがあればそれを人間的な思考とみなすアイディアがある。

惑星を一つの生命体とみなす「ガイア」説ではないけれど、例えば星野宣之のSF漫画作品には、初期の地球に似た状態の惑星で不安定な気象条件のために惑星全体で放電現象が頻繁におき、それがあたかも惑星が巨大な大脳であるかのような思考を生み出している、みたいな設定が出てくるものがある。

恐らくキャメロン監督は、樹木による擬似神経ネットワークというアイディアをベースに地下茎などでつながった樹木が一つの、大脳のような思考と感情、記憶を持つ思考生命体になっている世界をつくろうとしたのだろう。動物よりも植物に優位性を認めるアイディアもSFにはいくつかある。

このわかりにくい設定を本格的にやるには3時間近い本作でも短すぎて到底無理だから、シガーニー・ウィーバーの博士の意味ありげというか研究者として興味がわいたみたいな感じでの「台詞」でさらっとにおわせるのが一本の映画としては精一杯なのだろう。

ただ、そう思うと「祖先の木」というのも文字通り、個々のナヴィ族一人一人の寿命が尽きた時にその記憶を樹木が蓄えているということだろうし、そういう樹木があれば宗教的な意味合い以上に「ホームツリー」が言葉通りの意味で祖先につながるものとして絶対の意義を持ち、例え何があっても譲り渡してはならないものとしての意味を持つ文化が発展していくだろう。

また、ナヴィ族と樹木にそういう広義の「ネットワーク」が成り立つなら、当然「パンドラ」の他の生命体でもそういうことは可能になるだろう。ナヴィ族はなんか髪の毛の先を直接、馬みたいなのとか鳥みたいなのとかと繋いで命令通りにあやつっていたから、それに類することが樹木にできてもおかしくはない。最後の動物たちの大進撃もそのバックには主役の願いに心動かされ、ついでに自らの防衛本能も働いたであろう聖なる「樹木ネットワーク」が大号令をかけたものではないだろうか。

そういう必然性ある世界をつくり上げた事が凄いと思う。

鳥を乗りこなすことが一人前の証かという点だが、確かに狩りの必要性から見れば馬の方だけで十分だと思うが、そこへ行くまでの困難な道程をクリアするという能力の発達と、実際、スクリーン上で描かれた鳥を意のままに操り自在に空を飛ぶ高揚感をみると、一人前になるに不可欠なように思える。(酒飲んで楽しく酔っ払えるのが大人のマナーと証し、みたいなもんかも)

もう一つ、この世界にとって大事なアイディアは「魂の木」周辺にある「磁力の渦」ということがある。電気信号が頻繁に発生する場所では、電磁力が発生するから磁場もおかしくなる。平たく言えば電波が使えなくなるということで、ヘリパイロットが計器がダメになるというその理由だ。

これは「樹木ネットワーク」にとっても同所が特別な場所ではないかとうかがわせる意味もあるが、それ以上に物語にとって大事なことは、だからクライマックスの決戦場では電波が使えない、無線が使えない、無線誘導ができない、ということであり、遠くから無線誘導できるミサイル一発で終わりとならなくて、人間が出向いて直接視認できる場所から爆弾を落とす必要がでてくる。

だからこそ、わざわざ大佐が部隊を率いて乗り込んでくる必要性がある。単に好戦的な人間が好き放題に暴れたい、殺戮したいから、みたいな理由ではない。そうしなければならないから、大佐が直接、乗り込んだのだ。

こういうことが、ある法則にのっとった一つの世界をつくり上げる、ということではないかと私は思うし、それこそSFの醍醐味だと思うのである。

ただこの設定には、唯一だが、とんでもない難点がある。それは生身の人間とアバターはいったい何によってリンクしているのか、という問題である。

今の技術水準から考えられるのは電波による方法しかない。リンクというから無線LANみたいなのを連想するが無線LANの媒体は電波である。でもアバターはその磁力の渦の中でも、電波が使えない場所でも動いていた、鳥を捕まえ乗りこなし、戦闘までしていた。

だからこの点は本作では非常に巧妙にかわされているように思えた。私が見たのは字幕版だが、その字幕の中には生身の人間とアバターはリンクしているが、何によってリンクしているかの説明は一切なかった。ちなみ「磁力の渦」という表現や「計器が使えない」という表現はあっても「電波または無線が使えない」という表現もなかったが。

いっそのことアバターとのリンクをやめて、それこそ外科的手術で脳髄移植みたいな方法が良かったのだろうが、そうするとアバターが寝たら本体、とかいうアイディアが使えないから物語上、そうはいかないだろう。

そういう「謎のリンク」ではあるが、そういう「謎」があってこそSFである。SFはあくまで科学の原則をベースにしたフィクションなのであって、科学そのものではない。だから、少々大事なポイントであっても、SF作家には一つ二つくらいは科学原則に目をつむる事が許されて当然だ。(アシモフ先生の受け売りですが)

ところでこの電波が使えないという設定を聞いて、ピンとくる人はあるだろうか。

私はこれに気づいた時、すぐにあの『機動戦士ガンダム』を思い浮かべた。「ガンダム」がSFとして優れているのは、その世界が二つの科学進歩を土台としてつくり上げられているからだ。その一つは「スペース・コロニー」(こちらは現にあったNASAだかのラフスケッチとかをモデルに造形している)。

宇宙に植民地ができるような時代になれば、ひょっとしたらその独立が人類にとって大きな問題になる日が来るかもしれない。その時には、実際にはそうあってほしくないが、独立をめぐって人類世界が真っ二つに分かれて世界規模の戦争が起こるかもしれない。だから「ガンダム」は戦争の物語としてつむがれていったのだ。

もう一つは「ミノフスキー粒子」(これは完全に作者の空想上のアイディア)だ。ファンでない人は何のことやらわからんだろうが、要はこの粒子を散布した一帯では電波が一切使えなくなる、というものだ。そして戦争中だから両陣営がいたるところで「ミノフスキー粒子」を散布しまくったということになっている。

だから「ガンダム」全44話を見ていると、その作品世界では長距離無線通話のシーンは基本的に出てこない。近い距離なら「粒子」が散布されても雑音付きでなんとか通信できるが、遠距離は無理なので重要な連絡などは全部関係者が対面するようなことが頻繁に起きる。近未来の戦争の割にはどこかのんびりしているが、そういう世界なのだ。

だがそれよりも大事な点はこの「ミノフスキー粒子」のせいで、レーダーによる警戒も満足にできないし、無線操縦するような兵器はまったく使えないという世界になる。(現実世界では米軍が無線操縦による無人飛行機で偵察とか爆撃までしているが)

そういう世界での戦闘になるからこそ、「ガンダム」という兵器が、「モビルスーツ」が必要になるのだ(「巨大ロボット」とは言わないんだよね)。44話の中には有線による誘導ミサイルも出てくるが、それらはあくまで補助兵器であり、電波が使えずレーダーも使えないとあっては人が直接乗り込むことが不可欠であり、「ガンダム」とか「ザク」のような兵器が開発されて、「機動戦士ガンダム」の物語が始まるのだ。

これは余談だが、そういう無線操縦が使えない世界で驚異的な力となったのが「ニュータイプ」の力を兵器転用したエルメスであり、それを操る「ララア」だ。このエルメスこそ、「ガンダム」44話の中で唯一つの遠隔操縦される兵器であり、遠くから小さな攻撃機をあやつり戦艦撃沈と、アムロ、シャアを凌ぐ大戦果を挙げた。

だから私には、最後に大佐が乗り込んだあの人型兵器は「ガンダム」のリアルバージョンに思えてしまった。

こういう空想を大いに駆り立て、しかもSF魂を大いにくすぐられて大満足した映画であったから、つい、3Dでなくても良かったなという一抹の不満が残ってしまった。

(評価:★5)

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