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[コメント] ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序(2007/日)

これを観てから気が付いた。別に「ちゃんとしたラスト」なんか期待してないんだ。
きわ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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10年経ったことを痛感するのは、共感するキャラクターが変わってしまったこと。10年前はちょうど私もシンジやレイ達と同じくらいで、彼らの親や大人に対する憤りが自分とシンクロして感情移入できていた気がするのだけど、いまはそれがない。どちらかと言えば、共感するのはミサトやネルフの若きオペレーター達。ミサトの、仕事と私情のジレンマとか、仕事の後のビールの味とかの方がリアルに感じる。碇ゲンドウにいたっては、「父親」じゃなくて「上司」に見えるんだものな。その自分の視点の変化に驚くというか、ある意味ショックだった。これが時間が経つってことなのか。

そういう意味ではもうあの頃とは同じ気持ちで観ることはできないし、どんなに過去の作品と「同じようで違う物」にされても、「元々違う物」としか観ることができないんだ。ちょっと悲しい。 そして思った。ちゃんとしたアニメ映画宜しく、まともな方向へ持って行こうとしているのかはわかんないけど、この作品に、別にそんなの期待してなかったんだな、と。むしろ普通に終わってほしくない。謎の全てを知りたくない。別に全員幸せにならなくたっていいし、世界が救われなくてもいい。シンジが熱血ヒーローにならなくたっていいし、レイが笑わなくたっていいし、アスカが輝いてなくたっていいよ。 ・・じゃあどうならいいのか、と聞かれてもよくわかんないんだけど。わかんないから、次も絶対観るよ、とにかく。(07/10/9 劇場)

追記:劇場で鑑賞してから少し経って、なんか心にひっかかっていた’しこり’が、ようやくハッキリしてきた。 上にも書いた「自分が成長してしまったので見方が変わった」という点ももちろんその’しこり’の原因の一つだけど、もう一つは根本的に今回の製作の理由なのかな、と思う。何人かのコメンテータさんも言及されていることだけど、庵野監督は終わりを用意した前提で作ってる。もちろんそのためのリメイク(リビルドと言うらしいですが)なんだろうし。例えばミサトがアダムの正体を最初から知っているあたりや、使徒の数があらかじめ示されていることなど。なにより、怖気づくシンジを諭すミサトとか、「自分の子供を信じてください」「・・任せる」あたりの「いかにも」なシーンなどがやたらひっかかる。 これは10年前に正常な精神状態で作れなかった失態を、10年経って生活も真人間になった今の自分なら「ちゃんとできるから」っていうのを世間に示すためだけに、今回の「リビルド」が実行されたように感じる。とても傲慢といえば傲慢。そこを言えば前回となにも変わらない。逆に苦しみながらもあれだけのハチャメチャ映画を興行作品として世に出せたことの方がすごいと思うし、結局10年間誰も忘れられなかったことで充分すごい。たしかに満足した人は少ないかもしれないけど、それがなんだ。ほんとに不快だったらみんなすぐに忘れちゃうんじゃないかな。だから「親子のねじれた愛」「少年が大人になる過程」「正義とナントカの葛藤」とかまっとうな筋書きなんか、正直まったく観たくない。エヴァンゲリオンの中では。 でも「ちゃんとそういうのできるし」っていう監督の意思が見え隠れして、今後に続く作品のシナリオがとても不安だ。同じエゴなら、壊れていく様をさらけ出す10年前姿の方がまだカッコ良かった気がするよ。もしかして、その過去の無様な雄姿を含めてほんとうに駄作にしようとしてるのかもしれない。(07/10/30)

(評価:★3)

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