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[コメント] 海辺の映画館 キネマの玉手箱(2019/日)

神経症的な煩い画面は、冒頭あたりは前作『花筐』並だが、中盤になり落ち着く。例えば、宇宙に錦鯉を泳がせたり、尾道の映画館前での、小林稔侍高橋幸宏の会話シーンなど、およそ無意味な、ポン寄り/ポン引きを繰り返したりと、この辺りまでは、本当に常軌を逸している。
ゑぎ

 ただし、画質は『花筐』より向上しており、ラストまでこのテンションが持続することも、期待したのだが、中盤になって、パワーダウンというべきだろう、常識的なポン寄り/ポン引きになってしまうのだ。それでも、長尺にも関わらず、ラストまで興味を持って見ることはできるし、中盤以降も、海や月などが顕著だが、過度に人工的な画面造型は、相変わらず、見どころではあるが、画面は徐々におとなしくなってしまう。

 登場人物が映画の世界に入ったり出たりする趣向は、かなり混沌とした有り様だが、強引に押し切って収束させる。ただ、常盤貴子を中心とする、さくら隊と丸山定夫のシーケンスは、もう少し、結末まで画面で見せるのかと思っていた。

 また、狂言回し的な役割である高橋幸宏とその娘役の中江有里は、ラスト近く、「映画は絵空事」と自己批評するが、ホントウのところは、映画中映画の冒頭で唄われる「嘘から出たまこと」、つまり「絵空事から出た真実」、という主張が目当てなのだろう。若い俳優達、特にヒロインの吉田玲(希子)が「映画で戦争を知る」というフレーズを繰り返す通り、大林宣彦は、映画で「戦争の真実を教える」ということを第一義に作っているのだ。それはそれで、意義あることではあるのだろうが、まずは、映画の真実を提示することが先ではないのか、と私は思ってしまう。本作も、映画を作ろうとして作られたモノではないように思える。

 さて、戦争の真実、という部分の一環で、中国、沖縄のシーンでは、日本兵による現地女性(川上麻衣子山崎紘菜)の凌辱シーンも臆さず描かれる。あるいは、女郎屋の場面での成海璃子根岸季衣にも性的なシーンがある。これらの全てに該当するのではないし、その他、海中を泳ぐカットや、無名の女優達の入浴シーンなんかでもあるのだが、女優陣の胸は、全てCGでボカシを入れられている。この処理は、ひど過ぎるだろう。SNSの画面みたいだ。こんな中途半端なことをするくらいなら、背中だけ見せてくれればいい。この一事をもってしても、映画を作ろうとしているとは、私には思えないのだ。

#男女問わず、乳首が映っている画面は、映っていない画面よりも、百倍ぐらいスペクタクルである、と私は思う。

(評価:★2)

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