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[コメント] ゼロ・グラビティ(2013/米)

90分強のノンストップアクションムービー。この尺に対する志が嬉しい。画面が少々煩い、という点が玉にキズではあるが、圧倒的な瓦解の映画としても興奮する。
ゑぎ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 また、ハラハラドキドキの続く中で、ソユーズに到着した後のサンドラ・ブロックが、宇宙服を脱ぎ、体を丸めて浮遊する部分があるが、束の間の静謐かつエロティックなカットを織り込むことで上手く緩急を付ける。

 宇宙の造型は瞠目するカットの連続だが、もっとも感心したのは、ブロックが宇宙空間で一人ぼっちになった際のシーンで、カメラが宇宙服のヘルメットの顔面透明部分をすり抜けてブロックの横顔を接写し、小さくパンして彼女の見た目になり、ヘルメット越しに宇宙空間を見せるというカットだ。やっぱり、こういうCGの使い方は称賛すべきだと思う。それは、いわゆる特撮処理の単純なコンピュータ代替利用ではない、でもアナログでは絶対に不可能なスムーズな視点移動の獲得であり、よりクリエイティブな試みだ。

 さて、これだけ面白い映画で、多くの映画ファンにも受け入れられる作品だと思われる中で、欠点をあげつらうのは無粋だと思いながらも、上で「画面が煩い」等とも記述しましたので少し気になる点も記載しておきたい。

 まず、画面が煩いというのは、例えば宇宙船内の無重力空間にある浮遊物をやたら映す部分。(水滴だけでなく炎まで浮遊するのは面白い。或いは涙の浮遊にはこちらも涙してしまうのだが)。他にも、これも上に書いた、サンドラ・ブロックの主観ショットでヘルメットの顔面透明部分(バイザー部分とでもいうのか)越しのカットが美しくない(もっと云えば何を映したいのかよく分からない)。といったことだ。これらはリアリズムなのかも知れないが、映画において過度に現実を写しとろうとすることの是非を感じさせる例だと思う。

 またついでにもう一つ書いておくと、ジョージ・クルーニー回りの取り扱いが疑問に感じられる部分が多い。例えば、ソユーズを前にしての別れのシーンは、どうして二人で行けないのか俄かに理解できない。クルーニー再登場後の勇気づける科白が臭い科白だと鼻白むが、幽霊あるいは夢だからいいのか。しかし笑顔がカッコ付け過ぎではないか。さらにクルーニーに励まされた後、サンドラ・ブロックが人が違ったように頑張るのも胡散臭くはないか。この人の生きる目的、地球への帰還の動機づけが納得性を持って伝わってくるか。クルーニーは守護天使である、という解釈ですべてを納得すべきなのだろうか。という具合だ。

 さらにさらに、圧倒的な瓦解の映画だと記したが、宇宙空間における人造物の瓦解のスペクタキュラーは、既に『スペース・カウボーイ』でイーストウッドが見せたではないか。こっちの方が凄いかも知れないが、既視感があるのも事実なのである。

(評価:★3)

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