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[コメント] 戸田家の兄妹(1941/日)

前作『淑女は何を忘れたか』(1937)に引き続き相当のブルジョア家庭を舞台にした映画だが、家屋や家具調度品の豪奢さは前作の比ではない。小津は戦後の作品でも一部の例外(『早春』『お早う』等)を除いてある程度の上流家庭を好んで描いたが、しかしこれほど富裕な家を舞台にしたものは無い。
ゑぎ

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 そういう意味で、小津作品中最も豪華さを感じる映画だ。これが1941年に作られているという驚き。しかし前作から4年、中国戦線を経験した小津は坂本武を主役に据えた、かつての「喜八もの」のような貧しい庶民の哀歓を主題にした映画を撮りたくなかったのだろう。それはある種の現実逃避だったかも知れない。戦後の諸作であれだけ戦争の傷跡を描いた小津だが、本作も、次作『父ありき』にしても、戦中に撮った映画には戦時臭が無い。(もっとも戦時中に企画された時点での『お茶漬の味』は、夫の出征にまつわる話だったようだが。)

 さて、この映画も『東京物語』を用意する家族の崩壊と親子の絆を丹念に描いた作品で、勿論、美術装置以外にも見所は沢山ある。吉川満子三宅邦子坪内美子、そして飯田蝶子といった脇役女優達への適格な性格付け。子供達の中で最も清らかな心を持つ高峰三枝子のいじらしさ、高峰の友人役・桑野通子の可憐な美しさ。正義を体現する役回りである佐分利信のヒロイズム。さらには高峰三枝子が兄・佐分利信を慕う様には兄妹の関係を超えたものを感じるぐらいで、この辺りは小津が意図したものとは思えないが『晩春』の父娘の関係性に繋がるものがあり興味深い。また、ラスト近くの佐分利信による荒療治と大演説は少々やり過ぎだと思うが演出のテンションは大したものだ。ラストで大陸への移住を美化する帰結にはプロパガンダ的な嫌らしさを感じてしまうが、佐分利信が桑野通子と結ばれることを暗示するラストカットの浜辺の光、その透明な美しさを見た瞬間に時代の「きな臭さ」も吹っ飛んでしまう。

(評価:★4)

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