コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 生きる(1952/日)

「いのち短し、恋せよ乙女・・・」
mimiうさぎ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画で主人公勘治のを取り巻く人々は、「生きる」事について自分なりの解釈で彼にそれを示す。

自由奔放な三文小説家にとって「生きる」=好きなことをする事だった。 彼は、勘治がそれまで体験したことのない遊びに連れて廻る。パチンコ、ストリップ、酒に女。日銭で酒を飲み、女で遊ぶことが彼にとってなによりの生きがいだったからだ。しかし、それは勘治が求めている答えではないのだ。

息子光男は、父に「女遊びなんて、あなたらしくない。」と言い放つ。父に死が近いことを知らないゆえの無粋な言葉ではあるが、光男にとって生きることとは、規則正しく生活し、家庭を守り職をやり遂げることなのだ。しかし、それも勘治が求めている答えではないのだ。

明朗な女性部下とよは、「生きるとはなんだ」と勘治に問われ「私はただ食べるために働いている」と応える。死の恐怖など微塵の欠片もない素直な答えだった。しかし、それも勘治が求めている答えではない。

勘治は思う。今までの人生を振り返り、人々の「生きる」姿を見て、果たして自分にとって「生きる」とはなんぞやと…。

そして、思い付いた。彼は生まれたのだ!あの「ハッピー・バースデー」の歌と共に。この場面は本当に素晴らしい。最初、安っぽいミュージカルが始まったのかと思ってがっかりしたのだが、そうじゃなかった。彼らは、遅れて現れた誕生日のゲストのために歌っており、死が間近に迫った老いぼれた老人のために歌っていたのではないのだ。しかし、それは明らかに勘治の誕生の瞬間であり、この上手い演出に鳥肌の立つ感動を覚えた。

勘治のその後の活躍は、殆ど葬式会場で人が語るシーンとなっている。この演出も心憎い。勘治は、死して人の思い出の中で「生きて」いるのだと、心に染みてくるのだ。

素晴らしい作品にであった喜びに、私も「生きている」喜びを感じずにはいられない。

しかし、よく志村喬の力演を言われるのだが、年よりも老けた役作りで声をくぐもらせてしゃべる彼の演技表現は好きになれない。とにかく台詞が聞こえないのだ。せっかく良いことを言っているのに、聞き逃し、巻き戻してみる場面が何度あったか。140分という長い時間耳に集中しなければならず、せっかくいい映画であるのに疲労感が先に立ってしまった。

それがなければ間違いなく☆5なのだけど…。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (7 人)Shrewd Fellow けにろん[*] ありたかずひろ[*] シーチキン[*] 氷野晴郎[*] ina[*] いくけん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。