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[コメント] 海の上のピアニスト(1998/伊)

主役の「1900」と言う名前に監督が託したものについての考察。
ごう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「1900」つまり「19世紀」の象徴な訳だ。産業革命も本格的に始動し、これからどんどん発展して、人々の生活レベルも向上しみんな幸せになっていくであろうと思われた20世紀の礎となった世紀。

ところが、蓋を開けて見れば20世紀は「戦争の世紀」だった。人々を幸せにすると思われた技術が全く対極に位置する物に使われ、貧富の差は広がり、国家間・民族間の対立が表面化してきた時代。そして人間は一度ならず二度までも世界大戦を経験することになる。もう決定的に誰もが思い描いた世紀とは違う世界。だから「1900」の名を持つ男を監督は船から降ろさなかったのではないか。みんなが19世紀に思い描いた夢は死んでしまった。だから1900は死に、マックスはトランペットを手放したのだ、と。

こう考えるとなんだかとても救いの無い話のような気がする。

だがこういう風にも考えることが出来る。

じぇるさんが仰っている通り「1900」の存在自体がマックスの寓話である。そしてマックスがトランペットを手放したのは、第二次世界大戦終戦の翌年だった。

マックスは悲惨な戦争が終わり過去の想い出のトランペットを売ると同時に、(自分の創造の中で)「1900」=19世紀の象徴であり素晴らしい未来を夢見ていた自分、を殺すことにより、これからの人生を新たに生きていく決意をしたのではないか。そうなると最後の1900の長台詞はそのままマックスのこれからを象徴する葛藤であり、その中の言葉を借りれば、

「人生を降りる訳にはいかないから、自分の為の1本の道を見つける」

決意をしたのだ。だから彼は(創造の中でも)1900を船から下ろさずに、船と共に運命を共にさせたのではないだろうか。

みなさんはどう思われます?

私は後者と思いたいです。

(評価:★4)

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