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[コメント] 祈りの幕が下りる時(2018/日)

原作既読。3.11以降に書かれた原作は、放射線量と命とを天秤にかけて働き、被爆するだけしたら使い捨てにされる原発作業員たちの声を借りて「反原発」を裏のテーマにしていたように思う。この点に関してばっさり切り捨てている本作は納得できない。あと、越川睦夫の名前の由来は何だ?笑(これは原作においても言えること) このご時世、その偽名で賃貸アパートは借りられない。レヴューは原作との差異に触れています。
IN4MATION

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







本作の原作は、とにかく「たくさんの名前」が出てくるのである。

芸名・本名・旧姓・偽名と1人がいくつもの名前を持つ。

そして登場人物も多い。

映画では可能な限り登場人物を省略し、とにかく急ぎ足で真相に辿り着く。

その差異をみていこう。

まず、朝居博美が門倉博美という芸名を使っていない。

博美の前夫・諏訪健夫のくだりはすべて苗村健三が背負っている。

博美の友人・月村ルミ(本名・岡村恵美子/旧姓・梶原)も消え、博美のルビーに関する情報は昔の写真から早々に判明する。

川下りの操船手・藤沢が消え、「橋洗い」の行事に関する情報に辿り着くのが異常に早い。

金森登紀子(加賀の父の面倒を看ていた看護師)の弟でカメラマンの金森祐輔が名前だけの登場にとどまったせいで、今後の加賀と登紀子の恋の行方が暗に示されていた原作と異なり映画ではうやむやのまま。

原作にある裕輔の台詞や加賀の台詞を拾ってみる。

以下、弟の台詞

「加賀さんって独身ですか」

「今度、姉を誘ってやってもらえませんか。食事でも飲みにでも」

「姉、かなりヤバいんですよ。若く見えるけど、三十をはるかに超えちゃってるし。親からも、もういい加減何とかしろっていわれてるんです。だからその、冷やかしでもいいんで」

〜割愛〜

以下、加賀の台詞

「さっきの弟さんの話ですが、冗談抜きでいかがですか?」

「いや、今度事件が片付いたら食事でも、と思いまして」

話を進める。

橋洗いの写真で博美を撮った矢口輝正は名前すら出てこない。

警視庁広報課の茂木和重が出てこないため、加賀の住所がどこから漏れたかを調べる過程が全て省略され、「健康出版研究所」の出版部長・榊原、スポーツライターの男性、芸能ジャーナリスト・米岡町子も出てこない。この米岡と博美に繋がりがあり巧妙に自分の名を出さずに加賀に近寄るのだが、映画では大胆にも博美自身が加賀の連絡先を問い合わせていた。

苗村と同時期に教諭をしていた連中、特に重要な杉原が省略され、苗村の教師熱の醒め方や理由が描かれていない。

苗村の元妻(死去)の妹・今井加代子も登場せず、その代わり妻が生きておりルビーについて自分で語っている。

博美が育った養護施設「琵琶学園」の描写がないため、そこで博美が唯一懇意にしていた吉野元子も登場しない。

横山一俊以外の原発作業員の悲哀の声は各方面への忖度により大幅にカットされている。 

私見だが、3.11以降に書かれた原作は、こうした放射線量と命を天秤にかけて働き、被爆するだけしたら使い捨てにされる原発作業員たちの声を借りて「反原発」もテーマにしているように思う。

「原発作業員、実態」で検索してみるといい。そこには真実が隠されている。人身御供が必要な原発の現状がわかる。東電の下請け・さらに孫受けが原発作業員を派遣して東電が支払っている雇用費から搾取して作業員に支払っている現状。またそうした作業員がいないと現実的に原発は稼動できない。どこがクリーンエネルギーなものか。原発渡り鳥と称される底辺に生きる人間の命を犠牲にしているんだぞ、と作者は告発しているように感じらる。よって、ここを割愛してしまっては物語のテーマは希薄なものとなる。

諸々書いたが、全体的に捜査の徒労感・被害者の人物像が映画では一切描きこまれておらず、小説には遠く及ばない。

ホームレスを絡ませる辺り、『容疑者Xの献身』の焼き直し感も否めない。

松嶋奈々子のいかにも被疑者然とした演技も残念だ。

もっと仮面の下に本性を隠す「元女優の演出家」を熱演してほしかった。

良かったのは飯豊まりえが松嶋の若き頃を演じていること。粋な配役だと感じた。

※基本的に東野圭吾の原作は長い。その為、人物整理をしていくつかの役割をひとりにまとめたりする必要性があることは否めない。

また捜査の徒労感においても尺の制限からある程度の割愛は必須。

ただ、その取捨選択を誤ると、原作の根底に流れる裏テーマまでも失ってしまい、物語は希薄になる。言い換えれば別物になってしまう。本作はその取捨選択が上手くできていたとは言えない。いい加減、東野圭吾原作の映画化のコツというものを理解している人に脚本を執筆してほしいと切に願う。

(評価:★1)

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