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[コメント] 模倣犯(2002/日)

時間の制約のためか、原作の二段組上下巻の圧倒的ボリュームがそのままではない分スピーディ。ある意味、切り口を変えた別の作品。公式サイトや前宣伝、森田芳光が出演した番組はネタバレだらけ。原作未読の人が見てしまったら悲(喜)劇。
かける

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







結果的に原作への高評価を引きずり降ろしてしまった。山崎努に「『天国と地獄』を思い出す」とコメントさせたのも、あざとすぎ。同じなのは彼の言葉通り「撮影スタジオ」だけ。ネタバレ満載の公式サイトで話題を煽る宣伝自体、まさに「語るに落ちる」。

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確かに森田芳光の脚本術は光る。しかし、彼は頭が良すぎ、才能がありすぎ、そして「若手」と未だに語られるには歳をとり過ぎた。

サイコ犯罪にデジタルメディアを取り入れる、ストーリー描写にデジタルエフェクトをちりばめる、警察の捜査の動きや、ルポライターの取材活動のあり様……たしかに、綿密な取材データを駆使したものなのか、周到な脚本に練り上げられている。 しかし、それこそが策士策に溺れる、にしかなっていない。

はり巡らされた細かいディテールや伏線も、森田の上等なシナリオ術によって「なんとなく」抵抗感なく見せられてしまう。上質だからこそスルッと抵抗感なく入ってくる。しかし、それは同時に、何も残さないままスルッと同じように抜け落ちてしまう可能性もあるということだ。

例えば、森田は公式サイトで有馬義男(山崎努)が網川浩一(中居正広)が2年前に、自分の店を下見に来たことを記憶していた理由を「有馬は鋭敏な意識の持ち主だからです。彼は、これまでの豆腐職人としての人生で、ひとつの物事を究極的に追求している人物。つまり、一見繰り返しと思える作業に、 その日の気温や湿度によっての微細な差違を強く意識しているエキスパート。だからこそ、日常の往来という変わらない風景の中に、普段の通行人ではない彼らを知覚でき……(略)」と語っているが、そのこだわりや整合性はともかく、本編で有馬は突然、かつて店の前を通り過ぎた犯人二人の姿を思い出し「犯人はこいつだ」とテレビに映る網川を見ながら言い出してしまう。その姿はやはり唐突にしか見えなかった。

また、別荘での豪華な会食シーンが再三出てくるあたりは、自身の旧作の『ときめきに死す』を思わせたりもする。 お家芸というには熟成が足りないだろうし、そこまで練り上げている作品で、何故自分の作品をもう一度なぞったりするのか?

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試写会の会場を埋めた層は、一般的な試写会のそれよりもはるかに若い女性が多く、中居のSMAP効果をひしひしと感じさせる。しかし、その彼女たちもマッハでひいてしまった第一段階のオチ。

「デジタル撮影でハリウッドに追いつく。今年は森田デジタル元年(本人談)」

現実とも虚構ともわからないような、80年代のMTVにもないような画像でお茶を濁すことが、森田デジタルだというのだろうか。肝心の自決シーンを、『コント55号のなんでそうなるの』のアイキャッチ。頭が電球になっている二郎さんのようなカリカチュアに語らせる理由がわからない。

とうに21世紀に突入している今年をデジタル元年と言って平気でいられるのはプライドゆえかもと思う。しかし、受け手の方はこれ以上のデジタルエフェクトを、国内作品としても様々な形で既に目にしてしまっているのだ。

そして、唐突に訪れる第二段階の落ち……遺伝要因よりも環境要因が優位に表われるのは、狼少女のアマラとカマラの例を持ち出すまでもなく、身近にいる一卵生双生児で充分に理解できること。それこそ語るに落ちている。全体的な内容と、2時間超の上映時間を考えると、全くの蛇足としか思えない。

ちなみに、第一段階のオチで引いていた会場は、最後のオチではあきれてしまったせいかため息のようなムードに包まれた。

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その試写会にしても、単なる前宣伝に過ぎず、アンケートはおろか他作品のチラシ一枚配られなかったお寒いものだった。スポンサーでもあるYAHOO にあれだけ立派なネタバレサイトを運営させているのに、そのURLの掲示一つ無い。

ともあれ、映画会社や配給会社の担当者は、こういう場所にこそ足を運ぶべきだったろう。階段を歩く人たちは、おしなべて淡々とした表情で黙して語らず、たまに口を開く人は「あれはないよね〜」「あんなのでいいの?」「原作と全然ちがうじゃん」と口数少なく言うだけだった。好評価も、憤慨の興奮も、何もない映画だった。

「アナログな意識を捨てデジタルになれば、僕たちを捜せやしない、僕たちは無臭だ」(網川(中居)のセリフ)

映画そのものとしてとして無臭になってどうなるというのだろう? 魂どころか内容そのものが希薄な映画は、そもそもデジタルアナログといった方法論以前の問題でしかない。「技術」ではなく、その「思い」が見たかった、という点では『ファイナルファンタジー』と大同小異に過ぎない。策士が策と技術に溺れ……そしてその水深はさして深くはない。結果として、カメオ出演を探す楽しみ以上のものがあるかは疑問だった。

原作未読、予備知識は「中居くんが犯人」のみ……という段階で試写を見ることができた私は幸せだった。悪ノリの宣伝が、日本テレビやYAHOOの公式サイトでネタバレを無造作に垂れ流しているのも、逆の位相で楽しむことができたのを素直に喜ぶことにしよう。

それにしても、森田芳光自身が公開数日後にネタバレをとうとうと話しているのは、そういう広告戦略なのだろうか? あるいは、原作既読の人だけを対象にした作品だったのかもしれないが、そういう人たちがつける点数はカライものになることだろう。

しかし、いくらなんでも「これを言うとネタバレになっちゃうんですけどね(ママ)」と切り出し、2つ目のラストに網川(中居)から有馬(山崎努)にバイク便が届き……有馬は誰の子供でも育てる、という心意気! と森田がとくとくと語ったのは公開2日後の月曜日のラジオ番組だった。

その日は、原作を出版している会社の出している週刊誌の発売日でもあり、その号に掲載された宮部森田対談は、中吊り広告にも大きく「2つのラスト」と書かれてあった。要は総体として確信犯でネタバレ宣伝をしているのだろうけれど、ここまでくるともう露悪的ですらある。

ともあれ、これだけあれこれ考えることができるだけの作品であり、それだけの地力があるのは確か。しかし、だからといって映画そのものとしてのクオリティには、やはり疑問しか持てなかった。

(評価:★1)

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