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[コメント] もののけ姫(1997/日)

人間の日常的な生活や原初的な向上心、生産活動。ひいては社会や共同体の営み自体に”自己批判”の要求をつきつける「対文明テロ」作品。宮崎駿は近代文明や資本主義経済を、大所高所から否定しうる超越的存在なのか? そして「もののけ」はどこに潜むのか?(加筆改稿準備中)
かける

心の闇にこそ住む「もののけ」

宮崎作品批判は「少女」「ロリコン」といったキーワードで語られることがある。しかし、私は以前から、宮崎作品の世界に、もう一つの性的指向の存在を感じていた。テレビ時代の作品にまで遡ることも可能だが、『風の谷のナウシカ』以降にその傾向は顕著になる。

「少女性愛」と対になっていたそれとは、ずばり「ホモセクシャル」だ。表面に現れているロリータ趣味に対して、それはインヴィジブルな存在として暗渠の中を流れ続けていた。

ところが、この作品ではいくつかの象徴(サイン)をともない、それが顕在化した。美輪明宏米良美一……記号論的にもシンプルな構図になったと言えるだろう(米良は、女装・メイクの写真をCDジャケットにしているだけではなく、映画公開の翌年、デートクラブから呼んだ男娼に「自分の希望にそぐわなかった」ことを理由に暴行を加え、傷害事件を起こしている。美輪は言うまでもない。蛇足ながら宮崎駿自身も、ルックスを含めゲイカルチャーでの人気が高い人物だ)。

ユリイカ臨時増刊号「宮崎駿〜千と千尋の神隠しの世界」で、精神科医の香山リカは「宮崎アニメが何かにつけて『安心』と言われるのは、暴力シーンや性的なシーンが出てこないからではなくて、「父の名」のもとに自らの名前を完全に剥奪し、絶対的に服従させるような「絶対的他者」が出てこないからなのである」と書いた。フェミニズム的論議はさておき、父親不在という状況が、男子のホモセクシャル的志向の誘因となる、というのは心理学的な考察として実在する。となれば専門家である香山が、言外にその認識を持っていたと考えるのは不自然ではない。

宮崎作品における「成人女性の不在(否定)」、「保護者以外の成人男性の否定(悪役、擬動物化等を含む)」が最終的に示すものは、その世界観を支える「性的な未成熟」の存在ではないだろうか。その未成熟は「性的サディズム(cf:酒鬼薔薇聖斗)」のような、いわゆる「異常」性癖の形を為しえるものだが、彼の作品の世界においては、挫折的な性的指向が「幼児性愛」と「同性愛」の影、といった形に結実しているように思える。

そんな大人の斜に構えた観測はさておき、宮崎作品のメッセージの主要な受信者であり続けている子供たちは、例えばこの作品の公開からも5年が経過し、ほとんどがごく普通の中学生や高校生になっていることだろう。大半は当たり前のように性的な病理とは無縁なはずだ。そう考えると、彼はある意味においては、自身の作品の受け手たちに永遠に追いこされ続ける存在……ということになるのかもしれない。

「異常」性癖の全てが、真実異常で間違ったものであるかどうかはわからない。しかし、そういった病理にもなりかねないものを内包隠匿しながら、居丈高に文明批判、生活文化否定といった大言壮語をくり返されるのであれば、不愉快に感じてしまうのも人情ではないだろうか。誰の心の闇にどんな「もののけ」が住んでいようとかまわないが、そうそうあからさまに人を見下すものではないと思う。

COMIC BOX誌は、手塚治虫追悼特集の一環として、宮崎へのインタビューを掲載したことがある。彼はその中でかなり強硬な手塚批判を展開した。曰く「『ある街角の物語』で、男女二人のポスターが、空襲の中で軍靴に踏みにじられ散り散りになりながら舞っていくという映像があって、それをみた時に僕は背筋が寒くなって非常に嫌な感じを覚えました。意識的に終末の美を描いて、それで感動させようという手塚治虫の“神の手”を感じました」と。

宮崎は手塚の表現技法を「神の手」と称し非難した。しかし、この作品で「自然は全て不可侵。開発には天誅」という文明否定、原始礼讃のメッセージを、日本全土はおろか海外にも発信した、という”尊大さ”こそ、自らを絶対者に擬した「バベルの塔」的な行為なのではないだろうか。その上、原始共産制回帰というラジカルなメッセージを、大資本を投下したメディア戦略を介して行っているのだから、これほどの自己矛盾もない。

残され島、腐海、ラピュタ……宮崎作品に再三登場する閉鎖世界(=彼の王国)で、どんなものを創造構築したとしても、それは全くの自由だ。そして、それがエンタテイメントとして成立しているのなら、誰もが満足できる。しかし、高邁ではあるが独善的な哲学で、この美しくも渾沌とした世界、60億人類の文明を、袈裟切りに断罪して欲しくはない。

あるいは彼は、自らを絶対者と為しているからこそ、手塚の「神の手」に不興を催したのだろうか。しかし、追悼企画で物故者その人の辛辣な批判をするような人には、「人を呪わば穴二つ」と言いたくなるのもまた「人情」というものだろう。

(評価:★1)

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このコメントを気に入った人達 (9 人)ユキポン けにろん[*] ごう じぇる[*] こしょく[*] ハム[*] ペペロンチーノ[*] みった[*] 寝耳ミミズ

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