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[コメント] セブン・イヤーズ・イン・チベット(1997/米)

「ブラピ」「冒険」「チベット歴史」「反中共プロパガンダ」─どの要素も単独では成り立たなくても、まとめ売りしたらビジネスになってしまったという中途半端な作品。美しい自然だけは……と言いたいところだけれど、それも南米アンデスなわけで。
かける

**ネタバレ注意**
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とにかく、エンディングで実話に基づいていることを知って驚いた。

というか、フィクションだとばかり思っていたので、ダライ・ラマが出てきた段階でびっくり。たしかにタイトルに「……チベット」とあるわけだから、チベットにたどり着くんだろう、とは思っていたけれど。現代チベット史を素材に織り込んでいるなんて想像もしていなかった(……ブラピだし)

それにしても、当のチベット(というか肝心のラサ)までの荒行苦行旅日記の冗長なこと! あのへんをバッサリやってコンパクトでシンプルに仕上げた方が前述四要素の「冒険」以外としては全くスッキリする。そもそもこの映画が『植村直己物語』ではないことを考えたら、登山家の冒険行というニュアンスは極力排除するべきではなかったか。

身重の妻は放置。初登頂の高名のためならバディも危険にさらす、なんて利己的な彼が変化したのはラサでの生活やダライ・ラマとのふれあいの中で、という描写はあっても、チベットの高地を放浪していく過酷な自然の中で彼の心が……なんてことは全くなかったわけだから、完全にムダだという気さえする。

そして、「チベット歴史」「反・中共プロパガンダ」要素は一対になっているわけだけれど、あの描写では「昔々、中国の侵略がありました」ってだけで終わってるのではないだろうか。

昔々侵略がありました。だから今もダライ・ラマはインドでの亡命生活を続けています……それだけでは、あの侵略の意味やチベットの過酷な現状は全く伝わってこない。

例えば、偶然見つけたチベット亡命政府のホームページには、一般的にほとんど知られていない情報がたくさん掲載されている。

「チベットはウ・ツァン、カム、アムドの3つの地方で構成されている。チベットの広大な土地の半分にも満たず、総チベット人人口の三分の一に過ぎない「チベット自治区」という意味と混同すべきではない 」「ダライ・ラマ法王の写真を所持することは、現在、チベットでは違法」「パンチェン・ラマ11世(チベット政府が認定している本当のパンチェン・ラマ)は、1995年5月ダライ・ラマ法王によってパンチェン・ラマと認定された3日後に、中国政府によって連行され、現在もその行方および安否は全く判りません」

結局のところ、ことさら中共を指弾する必要がないアメリカが、映画的にオイシイ題材としての価値、商品になる部分(東洋的な神秘性とか)として、チベットやダライ・ラマ14世を持ち出しただけで、要はビジネス的方法論に過ぎなかったんだろう。それなら全ての要素が全部上っ面をなぞっただけなのも説明がつく。すごそうな題材が並んではいるけれど、結局の所映画的ファースト・フードのところで筆が止まってしまっているのだ。

もっとも、この作品をきっかけにチベットに関心を持つ人が一人でも増えたのだとしたら、それこそが明日につながっていくとは思うのだけれど。

最後に「ブラピ映画」としてどうにもダメっていうのは、個人的な感覚だとは思う。でも『トロイ』みたいな大作はともかく『テルマ&ルイーズ』や『トゥルー・ロマンス』とくらべてもカッコよくなかった(彼である必然を感じなかった)と思っちゃったんだからしかたない。 ラストの親子和解エピソードも全くの蛇足で、映画にもブラピにもなんの魅力もトッピングしてくれなかった。

やっぱりハリウッドはああいうラインを欠かさずには終われないんだろうか。同じ離婚を扱っているコメディの『ミセス・ダウト』よりもスイートなエンディングというのは、この映画のトーンには合わないだろう。

……でも、ダライ・ラマ14世を演じた少年には刮目するしかない、ということで、+★1の結果★3。

(評価:★3)

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