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[コメント] バレエ・カンパニー(2003/米=独)

「The Company」という映画ではあっても「バレエ・カンパニー」という映画ではない。それでいてバレエに全く感心や知識のない人には「?」といった部分は多く、バレエ好きならバレエそのものを観に行った方がいい、といった映画……なのだけれど。
かける

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以下、バレエという世界のバックステージを知っている視点からのレビューなので、一般的なそれとはずいぶんと違うだろうことをまず書いておきます

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「The Company」というロバート・アルトマン流の群像劇としては★3、4はつけてもいいとは思う(『ザ・プレイヤー』と『ショート・カッツ』に★4をつけたことを考えると、無条件に★4というのはなかなか難しい)

ところが、邦題もそうだし、何よりもまずジョフリー・バレエが出演したドキュメンタリー的作品……といった期待感で見に行ってしまった目としては★2で限界という気がする。

まず、アルトマンの演出術自体それはそれとして見所は多々あっても、バレエ界の内幕物と考えたときには萩尾望都のバレエ漫画の方が一枚も二枚も上手だろう。 そして、萩尾バレエマンガでは「こんなこともあるかもなぁ」と思わせられることも多かったけれど、この映画に対しては「そんなもんじゃないよ」とツッコミたくなることが多かったことにも正直がっかりした。

例えば?『ザ・プレイヤー?』や?『ショート・カッツ?』に対してなら、想像することしかできないハリウッドの内情や、ロスアンジェルスの生活、なんてことに思いを馳せることができた。「こんなふうなのかなぁ」みたいな無責任な想像だ。そして、もしロスに住む映画関係者だったとしても、やっぱりこの二作品に対しては「そうそう!」と手を打ったり、「こんなこともあるかもなぁ」と思わされたりするんじゃないか? そんな妄想すらしてしまう。

ところが本作。その「ドキュメント的」な部分へのバレエ的感覚の反映がとにかく希薄。アメリカンバレエと月並みな内幕物という要素だけでは、大半の日本のバレエ好きはガッカリさせられてしまったことだろう。

アルトマンはいわば雇われ監督としてこの企画に関わったそうだけれど、肩に力が入っていない分、軽妙なドライブがかかっていて秀逸な部分があるにしても、バレエという芸術、世界そのものに切り込んでいく視点はひどく舌っ足らずだ。やはりこの映画は「The Company」であって「バレエ・カンパニー」ではない。

期待はずれに思えてしまったのは、あまりにもアメリカンなバレエ団であるジョフリー・バレエが題材だったことにも原因の多くがあるとも思う。劇中に登場する作品の内容(というか傾向)はアメリカン・バレエということで最初からわかっていたのだけれど、それにしても、例えば登場する衣装の貧相さにはまいった。

日本の「お教室の発表会」なら予算の問題もあるだろうけど、一応はアメリカの一流カンパニー。衣装があの程度というのはセンスの問題とお針子さんの腕の問題だろう。日本でもバレエ団によっては、公演の度にイギリスやフランスから衣装さんを呼ぶことがある……という理由がやっとわかったような気がした。

しかし、 「The Company」として見たときには、アルトマンの佳作小品として、彼のシニカルな視点や洒脱な演出を充分に楽しめる。バレエ映画ではないことは残念にしても、だからこれだけ軽妙な物語になっていたのかな、など思わされてしまえばなおのこと、自分の感覚のアンヴィヴァレンツにもどかしくなってしまう。

もしオペラ座(『エトワール』)を、ベジャール(『ベジャール・バレエ・ルミエール』)をアルトマンが撮っていたら……これはとんでもないものができたのではないだろうか。そう思わせるきらめきは確かにあった。

さて、物語の細部に触れると、アキレス腱断裂事件をひどく淡々としたトーンで書いてみたり、子供の待遇に血眼になっている勘違いオヤジがいたりといったあたりは、バレエというバックグラウンドをよく料理しているというか、リサーチが well done だったんだろうな、とは思った。

そういった怪我のようなアクシデントに対して、感情的感傷的になるのはその過保護オヤジみたいな家族にはいるかもしれないけど、同僚だって観客だって、プラクティカルな反応しかしないし、できないのがバレエというものだからだ。

しかし、とうとうヒロイン自身がアクシデントで怪我をしてしまうラストシーンについては、自分のミスに対してヘラヘラ笑っていることに強い違和感を感じた。アルトマン的展開だといえばたしかにそうなのだけれど、それは彼的な物語術ではあっても、決してバレエではない。

とにもかくにも、そのようにバレエを自分の土俵に力業で持っていってしまったアルトマンという人の老獪さにしてやられた、というところなんだとは思う。彼自身がバレエに対して造詣が深いとはとても思えない。だからこそ、限られた時間とデータ、リサーチでここまでの映画にしてしまう彼の力量、職人芸に、やはり素晴らしいと思わされてしまった。

そんなふうにあれこれとひっかかりはあるにしても、じつにバレエ的! と思わせる場面や演出、仕掛けはいろいろと用意されていた。中でも一番バレエだと思ったのは、実はライ(ネーブ・キャンベル)とジョシュ(ジェームズ・フランコ)のラブストーリー部分だったりもする。

まず、同僚の結婚パーティーでレストランでバカ騒ぎしているバレリーナたち。そのへんがまずプラクティカルにバレエ的だ(バレエダンサーは節制しているから酒も煙草も大食いもしないと思っているバレエ「ファン」はただの半可通)

彼等がレストランやバーで見交わす瞳はさておき、そのバーでライの飲んでいるビールが「バドライト」。タイアップだったのかもしれないにしても、一応は東海岸で、人前で、バドを飲むような人間がバレエをやっている、という構造的事実をグサっと突きつける。夜にウェイトレスのアルバイトをしていること以上に、ダンサーとしてのライの社会構造的ポジションをあからさまにするシーンという意味で、ここはかなり鋭く、容赦ない。

そしてそのとき、ジョシュは「サミュエル・アダムズ」を飲んでいるんですね! 一応はコックだし、ホレた女の前だし……ってあたりのさじ加減なんでしょう。でも、けっしてハイネケンだのギネスだのにはいかないわけです。

そして何よりも、クリスマスパーティーのシーン!

ジョシュの感じた疎外感は、あれこそがまさにバックステージで繰り広げられる日々の事件。自分がダンサーでも何でもないのに、「不幸にして」バレエに関わってしまった人間に叩きつけられる孤独や焦燥が容赦なく描写されていた。

それでも彼は花を持って舞台に駆けつけるんですね。そして、ライはやっぱりうれしいんです、彼が劇場に来てくれて。

そういう永遠のすれ違いをありのままそのまま捉えていたあたりは、たしかにドキュメンタリー的で、しかもその真実はどうやっても全ての人には通じない、なんてあたりがなんともシビアにバレエ的ではないですか!

といったもろもろの結果、評価も上がったり下がったりを繰り返し……アルトマン映画としては★4、バレエ映画としては★2。というわけで最終的に★3に着陸しました。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)天河屋 Kavalier

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