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[コメント] 太陽(2005/露=伊=仏=スイス)

大日本帝国が資本主義のアメ公にファックされる映画。
Kavalier

おそらく監督は、多くの日本人がいまだに消化しきれていない昭和天皇に関する問題にはさして興味がないんだろう。はたして昭和天皇は立憲君主主義を信奉し平和主義者であったのかといった問題や、それに付きまとう昭和天皇の戦争責任、これらは映画ではまったく関心が払われていない。

映画が描こうと思考しているものは、特異な一国家が外圧で変貌を遂げる過程だ。その変貌過程を、国家システムを維持するために生かされている一人物である皇帝を通して描こうとする試み。この映画での昭和天皇像は、多言語を話し他国の古典に精通しつつ、他文化との接触をほとんど持たない孤立した人物、である。これが戦前の日本の国家像とシンクロさせて描かれていることは言うまでも無い。そしてラスト、皇帝は、外圧の中で一個人としての地位を確保する。

作家性を見出し難いソクーロフという監督だが、私は彼のテーマは一貫していると思う。個人と環境が一体化した瞬間を微視することで、その一体化した事象の軋みのようなものを表層化させようとしているのではないか。映画内で、天皇の「衣替え」をしつこく描いていることや、天皇が活動を行う場所は防空壕内や研究所といった閉鎖された空間に限定されている、これらの描写理由は上記の理由以外考えられないだろう。

作中では、天皇はマッカーサーと徹底してディスコミュニケートな会話を繰り広げる。そしてマッカーサーとの会見後、天皇は一人誰もいない会見場ではしゃぐ。史実に照らすなら、欧米への歴訪を持つ天皇が、西欧人と噛み合わない会話を繰り広げるのは考えづらいし、会見後に踊ることもほとんどありえない表現だ。しかし、前述したように映画のテーマ下で考えるなら極めて納得のいく表現だ。噛み合わない会話劇はまさに上記の「軋み」を表層させる試みであり、はしゃぐ天皇は環境を捨て人間性を回復した様を表現するものだろう。ならラストが意味するものも想像できなくない。

こう考えると、この映画は第二次大戦末期の日本を題材にした観念劇に近いしろものだ。そしてテーマを表現する際に、太古から続く封建国家の君主にして科学者、という二面性を持った昭和天皇はうってつけの人物だったんだろう。日本人であることは、逆にこの映画の理解を難しいものにしているのかもしれない。

にしても、ロシア人が監督の為か、登場するアメリカ人は皆、粗野な闖入者として、逆に日本に関しては伝統を保全する国家として描かれているのが興味深い。

(評価:★3)

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