[コメント] 君の名は 第三部(1954/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ラストは概略を言うと、‘2人は一緒になれるかなれないか’を最後までやっている。
私はその成り行き、状況から見て「こりゃダメだな」と思い、本コメントに「永遠に一緒になれないからこそ、この愛は永遠になった」と書くつもりだった。が、違っていた。正反対だった。
何故、この形にしたのか。それは、結果を延ばせるだけ引き延ばされたオバさんたちの怒りを買う(「散々待たされて、これかよー」と云われる)のを恐れた為だと思う。
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
びっくりしたもう1つは、ラストシーンだ。綾が突然出て来て、「忘却とは忘れ去ること也か・・・」と呟くのだ。寒山さんも指摘されている通り、全編の最初と最後を彼女が務めているのだ。
ここから、本当の、というか裏の主人公として彼女が居たのではないか、と考えた。
そう言えば、思い出したが「忘却とは〜」の言葉は第2部が初出で第3部へと頻繁に出て来る。が、第2部(の後半に至ってだが)で心を決めた真知子は、それ以降は「忘れ去る」必要はなかった!のだ。それを頻繁に出したのは、大きな伏線―忘却する必要があるのは、真知子だけではないんだよ、という―ではなかったのか。
もう1つ、菊田が何を考えたかを想像してみた。
ハッピーエンドは先程言ったように、確かにオバさんたちを満足させるだろうが、やはりお涙頂戴が大好きな彼女たちはラストでもう1度泣きたいと思うのではないか、それなら・・・と用意したのが、綾という裏主人公だったのだ。
菊田は、2人の主人公と裏主人公、そして始まりと終わりのシーンだけを最初に決めて、書き始めた、と考える。
[追記] ・ラジオドラマの期間:’52.4. 10 〜 ‘54.4. 8
・映画公開日:第1部―’53.9.15、第2部―'53.12.1、第3部―'54.4.27
日にちを比べてみると、実によく考えられた公開日設定ではないか。
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