コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 東京暮色(1957/日)

小津らしからぬ下世話な作品である。しかも、嫌らしいほどに下世話だ。更に音楽の瑕疵も気になる。それでも脚本が良いのだろう。昔捨てた子供と再会した女の複雑な心情―戸惑い、喜び、哀しみ、諦め―が後々まで心に残る傑作だ。
KEI

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







本当に下世話な作品だ。

主人公原節子の兄が死んだのは、‘谷川岳’という。今(2018年)でこそ聞かなくなったが、昔は谷川岳といえば、誰もが知っている遭難の名所だった。だから観客は、即なるほどと納得するのだ。

また小西得郎アナウンサーの物真似が出て来る。「何ンと申しましょうか」というアレである。私も子供時代によく言って人をからかったり、揶揄したりして、皆で大笑いしたものだ。これはしつこくやると、揶揄を通り越して冷酷っぽくなる。それをやっている。

もう1つは、場末のバーの酔客を斜めに撮って言わせるセリフ、「女は少しズベ公の方がいいんだよ」と、下卑た笑いをするのだ。

音楽の瑕疵というのは、主題曲。ホンワカ楽しい曲だ。そういう物語ではないと思うが、逆の(哀しみを優しさで包むという)意味なのかもしれない。しかし、次のシーンでは使って欲しくなかった。それは、娘(有馬稲子)が自分を捨てた母親(山田五十鈴)に会う緊迫したシーンだ。ここは静かな曲かor何も音楽を付けないかだろう。ここだけは音楽担当(「東京物語」の斎藤高順)の意図が分からない。

脚本の話に移るが、後半の主役は、流れでこうなったのだろうが、山田五十鈴だ。夫の部下と、子供も捨てて満州へ駆け落ち。これだけでもスゴいが、やがてその相手は、アムールで抑留されて死ぬ。アムール河(黒龍江)はソ連と満州の国境だ。敗戦した時、日本軍、中国共産党、ソ連軍と入り乱れて、満州はメチャクチャだった(らしい)。「苦労した」というのは、あの頃満州に居たというだけで、十分わかる。

娘たちと出会った時の山田の変に明るいのは、そんな苦労の人生を送って来たから、だろう。とにかく、目の前にとうの昔に忘れていた娘が現われ、そして、死ぬ。やっぱり、縁が無かったのだと改めて諦めるしかない。室蘭へ去る日の東京の空が暮色に染まっていると、山田の目には見えたのだろうか?

いや、「東京暮色」というのは、子育てに失敗した父親(笠智衆)の目にそう映った事なのだ、という事かもしれない。

しかし、ラストは、原が「毎日の生活をしっかりやって行こうと思います」と言い、笠も明るい空の下をしっかり出勤していくシーンだ。このラストも私としては気に入っている。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (4 人)3819695[*] ぽんしゅう[*] けにろん[*] 緑雨[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。