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[コメント] ダンスウィズミー(2019/日)

確かにロードムービーに反転後の展開は面白いし、脇を固める女優たちのパーソナリティは味わい深いものがあるのだが、やはり誤魔化された気がするのだ。矢口史靖という演出家にとって、「音楽に所かまわず反応する主人公」とは追求に値しないモチーフなのだろうか。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







俺も気になっていたポイントに「こりゃ女『いなかっぺ大将』じゃないか」という反応がある。漫画『いなかっぺ大将』という50年前の作品において、主人公には音楽が聴こえてくるとトランス状態になって無意識に踊り出すという奇癖がある。これは単なるシチュエーションギャグなのだが、これについて菊地成孔は、現代にあってもまだ人々は所かまわず音楽に恥じることなくビートを刻み得るか、という思考を巡らせていた。「いなかっぺ」は踊り終えて通行人に囲まれる自分を認識し恥辱に逃げだすのが常だったが、現代ではどうか。音楽はより個人的なものに変貌し、電車内でイヤフォンを着用した若者たちは我々には判らない音楽のリズムに乗り、肩を、つま先を揺らしている。彼らは「いなかっぺ」のように奇癖に悩むことはない。音楽に対し反応する我々は、べつの視点をすでに得ているのだ。

だが、この映画の三吉彩花は「女いなかっぺ」にしかなり得なかったし、その行動と奇癖に対する自己嫌悪は一歩も50年前から進んでいなかった。「ああ、その意識の改変は後半で描かれるのか」と思えば、映画はさっさと明後日の方向に走り出してしまったのだ。そりゃあ「逃げ」だろう。もとより主人公が踊っているとき、その顔は「いなかっぺ」のように多幸感に包まれてはいなかったが、この経験から彼女は音楽の懐に抱かれる快美感を体験しなかったのか。最終的に三吉は理性で音楽の快楽を律し、ビジネスの材料へと貶めてしまった。それが間違いとはいわないが、これで一気に俺は冷めてしまった。

少なくとも映画の水準を上げる矢口は、同時にこの映画を問題提起を取り払ったきれいごとにしてしまった。悪い意味で同時代の観衆に寄り添うことしかできないのだろう。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] けにろん[*]

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