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[コメント] 麻雀放浪記2020(2019/日)

観たあとには何も残らないプログラムムービーの末裔でしかない作品だが、2019年春の映画館で観ることで観客は現代に残された白石監督の爪痕を知ることができる。幸か不幸かこの国の善意溢れる大衆につるし上げられた「国民のオモチャ」たちの軌跡だ。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







言わずと知れたピエール瀧容疑者の最後の作品ということで、一時は「ピエール効果」が働くかと思わされた劇場はガラガラだったが、そのあたりの騒動も収まりつつある状況下での鑑賞には、事件前に撮られていたとは思えない「仕掛け」がここかしこに認められた。

瀧の出場所はほんの少々であり、騒ぐ必要性も感じないちっぽけさであったのだが、それとは別に斎藤工が瀧の行動に寄り添ったかのような場面が存在することに驚く。すなわち彼の、作品に親しみつつも逮捕とともに自分たちへの謝罪を求める大衆へ向けられた「垂れられた頭」のシーンだ。白石はこの行動の無意味さを登場人物の口を借りて語る。法をつかさどる国家への謝罪は仕方ないが、全くそれとは無縁なのに私刑を進める、つねに不遜な大衆という王様たちについて監督も違和感を感じていたのだろう。 そして、ただ欲求に突き動かされた前科なきベッキーに監督は重大な役割を与えている。彼女はべつに犯罪者でもないのに未だに王様たちには許されていない。白石は彼女をめぐる不条理な社会のありようをも皮肉り、セックスの臭いをまとわせずとも彼女にはまだ演じられる幅の広さがあることを証明する。そして実際に政治の場で充分に叩かれ、今は哀れな一タレントに過ぎない舛添要一をも監督は使ってみせる。これはどうかとは思うが、彼もまた必要以上に糾弾され続ける人物ではあるように思われる。

共通するのは巨大化した「無辜の民衆」への疑問だ。ヒーローの知る由もない未来世界の、優し気にもみえる国家権力に満足せず、自ら罰する立場に成り代わろうとする人々。それは坊や哲の時代より、ある意味生きづらいカタチに自らを屈折させている絶対権力だ。他方「麻雀放浪記」原作の時代はパッションだけに人が延命の方法を見出す世界だが、そこに主人公がためらいなく帰ってゆくのは、人の在り様が豊かだったからだ。権力が手を出さずとも民衆がその代わりを、いささか増量気味に執行してくれるディストピア。脆弱な自分はそこから逃げることはできないが、この物語のように強さを少しながらも誇示してくれる個人がいることに、自分は希望をつなぐのである。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ぽんしゅう[*] けにろん[*] 死ぬまでシネマ[*]

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