[コメント] 宇宙戦艦ヤマト 復活篇(2009/日)
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この新しく描かれたヤマトシリーズを観て、やっと地球上には日本人以外の人間が多数生き残っていることを知り、ほっと胸を撫で下ろした。黒人もヒンドゥー僧もアルプスの牧夫もいる。というか、この辺のことは当たり前であり、今までそのあたりのグローバルな視点を持ち得なかった松本零士の引き出しの少なさに責任は集約されるといっていいのだが、相変わらず金髪娘が日本名を名乗るあたりは髪を脱色しているのか、あるいは日本に地球は支配されているのかと要らぬことが気になる。まして東南アジア人のような異星の女王、金髪で彫りの深い容貌の異星の指揮官などを見ていると、やはりヤマト世界の地球は日本帝国の隠喩であり続けるのかと勘繰りたくなる。まして最大の敵はSUS国などと名づけられているのだから、ソヴィエト&USAってことで原案の石原慎太郎の面目躍如だな、とある意味感心させられる。
まあそこらへんは絵が巧くなったための贅沢とは言えるものの、ヤマトに感じ入り味方になってしまう異星人たちの推理能力は只者ではないというか、単なるご都合主義であるかは笑い話としても、それらの人々が忽ち特攻の美学に殉ずるにいたる経過は冗談では済まされない。ゴルイ提督やパスカル将軍がヤマトのために次々と安易な死に方を選ぶ理由は一体何処にあるのか。そして恩義あるアマール国人民が犬死にするのを看過できる資格が地球人に存在するのか。ヤマトはやっぱり何も変わっちゃいないのがはっきりと判る。
まあこれを散華の美と取るか、単なる田舎芝居ととるかはその人次第だが、とにかくヤマトが強いのは弱者を踏み台にして逃げるときは逃げる、という性格の良さゆえであることを再認識させられる。仲間になる人がバカなのだ。そのあたりの非情さは古代が逃げ遅れた地球人を助けに行くときに、「複座」のコスモゼロに乗ってゆくあたりに如実に表されている。要するに娘が助かりゃそれでいいわけだ。古代くん、ホントにいい性格だよ。
そういう細かい点が気になるから、「愛」がテーマだなんて言われても「何処が?」と答えるしかないわけだ。かといってその辺が昭和時代と変わっているとも思うはずもないので、戦闘シーンは楽しかった、とだけいえば済む問題であることは間違いない。
…でも「第1部・完」って、本気?
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