水那岐さんのコメント: 更新順
空の大怪獣 ラドン(1956/日) | 人間を襲う巨虫メガヌロンを追って洞穴に潜入した捜索隊が、さらに巨大なラドンの幼鳥に遭遇するシーンは、ただ巨大な生物であるがゆえに恐怖を醸し出したフィルムとして歴史に残ろう。 [review] | [投票(7)] | |
X−メン(2000/米) | 野暮を承知で言うが、差別問題に敏感なアメリカでこんな生ぬるい反差別エンターテイメントはないだろうと思う。年代もののアメコミにしても鈍感すぎる。 [review] | [投票(2)] | |
ペーパー・ムーン(1973/米) | 小憎らしいだけのガキだったテイタム・オニールが、ちゃっかりサギを働く機転と時折見せる少女らしい笑みで、だんだんに愛らしくなってゆく。ライアンも我が子には一歩譲るか。余談ながら、子役時代のジョディ・フォスターとテイタムがライバル視されていた事実も、いまは昔話。 | [投票(2)] | |
二十日鼠と人間(1992/米) | ジョージとレニーの男同士の「愛」の掟はふたつ。プラトニックであること、そして決して浮気しないことだ。ゲイリー・シニーズの目が雄弁に語っている。 [review] | [投票] | |
I am Sam アイ・アム・サム(2001/米) | 美しい事実が長くは続かないのは何故だろう。こればかりは60歳になったポールに聞いても、もしジョンが生きていてこれを訊ねても、満足する答えは得られないだろうと思われる。 [review] | [投票(11)] | |
コリーナ、コリーナ(1994/米) | 世の中には、ユーモアに溢れているが優しくない者と、ユーモア精神を持たないけれども優しい者、そして僅かな例外がいる。コリーナはよい意味での例外だったけれど、あの時代ですら白人親子が黒人を愛するのは、「鳥と魚の愛」だった。時代ゆえの「コメディの皮をかぶったシリアス・ドラマ」。 [review] | [投票(1)] | |
ペパーミント・キャンディー(1999/日=韓国) | ひとりの純朴な男が、誰の想いをも拒絶する冷血な男へと育てられてゆく過程。自分のなかにあるそれに気づいていた部分は、おのれ自身を裁くしかなかった。主人公が時を遡るうちに顔の険がとれて穏やかにみえてゆくのが何とも切ない。 [review] | [投票(5)] | |
クローネンバーグの デッドゾーン(1983/米) | この当時のクローネンバーグには珍しく、猟奇的な残酷性とも小難しい小理屈とも無縁な「静かな」超能力者の戦いの物語。観客のセンチメンタリズムに訴える方法も決してわざとらしくはない。孤独な主人公にただ涙腺を緩まされる。 | [投票(6)] | |
エマ(1996/英=米) | 『ハロー・ドーリー!』みたいに、酸いも甘いもかみ分けた女性のキューピッド役ならともかく、田舎貴族の人品の何たるかも知らぬ小娘が他人の値踏みをし、恋をとりもつなど百年早い。少なくともこの映画のパルトロウは魅力的ではなく、他の俗物どもと同じ臭いを放っていた。 [review] | [投票(1)] | |
いちご白書(1970/米) | 「最悪のこの国にもう一度チャンスを与えてやりたい」と主人公は言った。なに、遊び半分の革命戦士が、女の尻ばかり追い掛け回しながら言える科白だろうか。ひとりの駄目ダメ学生運動家が一敗地に塗れるまでの物語。 [review] | [投票(2)] | |
イージー・ライダー(1969/米) | ただ軽い気持ちでバイクを駆り、大麻を吸い、酒を呑み、女を抱く。それが「自由」の象徴なら、およそこれほどしょぼくれた象徴はない。だが、そんな「自由」な二人はあっけなく排斥される。つまる所、それほどにこの時代のアメリカは「不自由の王国」だったことが理解できる。 [review] | [投票(12)] | |
さらば箱舟(1982/日) | 生きながら立ち腐れていく村。時計狩りと時計の増殖。死してなお彷徨しつづける亡霊。健忘症のなかで混乱してゆく男。冥界へ通じる穴。そして村を捨て現代へ転生してゆく魂。果たして「百年経ったらその意味判る」か?寺山がこの世にばら撒いた最後のヴィジョン群。 | [投票(3)] | |
静かなる決闘(1949/日) | 三船が、願わずして梅毒に冒されることによって「聖人」の道を歩まされようとしている時、恋人よりもむしろ実情を知るはねっ返りの看護婦見習い、千石規子の存在がその歯止めになり、彼を「人間」に押し留めているのだと感ずる。その逞しい「人間」さぶりが物語を暖かいものにしている。 | [投票(6)] | |
ラウンド・ミッドナイト(1986/米=仏) | デクスター・ゴードンのテナーは大袈裟な野外ステージで聴くには似合わない。もうもうと煙の立ち昇るクラブで、自分も紫煙をくゆらしながら、夢見るようにその世界に浸っていたい。 | [投票(1)] | |
ゴジラの逆襲(1955/日) | 銀幕登場後間もないゴジラを、すでに天災かなにかのように諦めさせてしまった罪は重い。だが、光と燃え立つ炎に限りなく惹かれるというゴジラの習性を活かしたことは、彼を単なる原始の巨獣には貶めなかった。そこは評価する。 [review] | [投票(2)] | |
悪いことしましョ!(2000/米) | 看板に偽りあり。…いや、努力せずにおのれの欲望の充足を狙うのは悪いことだとすれば…アタマが痛くなるな。 [review] | [投票(1)] | |
カラーパープル(1985/米) | 外見に惑わされてはいけない。これは普遍的な愛情と許しの物語なのである。強い立場に立つ者必ずしも強くあらず。虚勢を張っているに過ぎない場合だってあるのだ。スピルバーグのナチュラルな感性がもっとも善いかたちで発露された佳作。 | [投票(8)] | |
コレリ大尉のマンドリン(2001/米) | ギリシャの島で起きた悲劇的な事件を大アマのメロドラマに挿げ替えることで、制作者は犠牲者ひとりひとりを侮辱している。台詞が英語で話されていることも含めてだ。 [review] | [投票(4)] | |
明日に向って撃て!(1969/米) | 泳げないガンマンと人を撃ったことのないガンマン。英雄なき時代の何ともしまりのないヒーロー。だが、限りなく愛すべき男どもだった。ニューマンの笑顔は子供のように屈託がなかったし、レッドフォードのすねた顔は男から見ても微笑ましくなる顔だったのだ。 [review] | [投票(7)] | |
バードケージ(1996/米) | 時事ネタ以外は、愚直なまでに『Mr.レディMr.マダム』と全く同じ。それだけならいいのだが、議員役のジーン・ハックマン以外の役者の魅力が格段に劣る。何が違うかといえば物語に対する愛情の深さだと感ずるのだが…。 | [投票(2)] |