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[コメント] めぐりあう時間たち(2002/米)

一日、一時間、一分、一秒……日常は狂気と同じ成分でできている。
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







妊娠中の主婦ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)は、ダロウェイ夫人の顛末を疾走と捉え、憧れを抱いた挙げ句、現実逃避と紙一重の“夢の実現”をはかる。自殺は結局未遂に終わるのだが、一旦、息子を捨て去る覚悟で飛び出してしまった以上、家庭に対する隔絶感は彼女の中で決定的なものとなってしまった。夜になり帰宅した夫ダン・ブラウン(ジョン・C・ライリー)は、そんな妻の一日を知る由もなく、朝の空気そのままに、今の暮らしがいかに幸福なものであるかを訥々と語る。それを、引き裂かれながら、精一杯の作り笑いで受け止めるローラの表情に込められた女の哀切が、この物語の表立った主題であるのは明白だ。

ただし、このテーマの追求がどこまで真に迫っていたのかは、わからない。舌足らずだった部分は、監督が男である自らを意識し、敢えて記号的に描写するに留めていたものと解釈しているが、映画を観た女性がどう感じたかに関してまであれこれ言うことなどできよう筈もない。或いは、自分がこの映画に感じ入った部分は別にある。

それは、日常、或いは作家の描き方に関してだ。 たとえば、1923年、ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)の一日。夫の優しさを理解しながらも、逆に温もりが目に染みて、爪を立てる。苛立ちをメイドにぶつけては、軽蔑される。たまらず、居所を姉に求めては、ここでも拒絶され、化け物扱いされる。そんな狂おしい不協和音も、子供達の喧騒に掻き消されては、宙づりになる。また独りになり、小鳥の死骸と向き合うという奇行におよぶ。しかし、自分はもはやあのように純粋に死と向き合える少女ではない。自分と死の間には、無数の不純な思念が渦巻いている。だからこそ、立ち上がり、部屋に戻る。それを紙と筆で吐き出すために。

何気ない日常の一こまだが、孤独に支配されている限り、かくも多くの狂気を宿している。この映画が醸成する時間がそれを体現していたという一点のみで、十分観る価値があった。

そして、リチャード(エド・ハリス)にはなりたくないと思った。誰かをクラリッサ(メリル・ストリープ)のように悲しませたくはないと切に思った。想っているのに、想われているのが解っているのに、すれ違う。自分に絶望し、相手を絶望させ、終わってしまう。そんなことにはなりたくない、なっちゃいけない、そう思う。

――あなたとわたしのこの世界 儚いなんて言わないで だってそんなの悲しすぎるよ――JUDE 白雪姫

(評価:★4)

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