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[コメント] トータル・フィアーズ(2002/米)

“恐怖の総和”…そのダブルミーニングについて
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 映画化に関する所感

 ハリソンよりも知的に見えないジャック・ライアンが出てきた。原作では、それまでに立て続けに大活躍したライアンがかなりの発言権を持つに至っていたが、映画はその設定を一新。お偉方に認められる以前の無名時代に設定変更、言ってみればジャックライアン・エピソード0にしてしまい、そのルーキー故の孤軍奮闘を話の骨子にした。尺と予算の限界から端折らざるえをえない群像劇を、いっそアクション仕立ての主人公ものへ、何とも大胆な発想の転換。そもそも原作の精緻なシュミレーションをそのまま再現するのが不可能だというのは、三本の大作がすでに証明してしまっている。とすれば映画化は、ある程度原作から離れなければならない。原作を読んだ観客の頭を一旦リセットして、別物として提示したい。アフレックの真新しいライアン像はその効果があったように思う。

 時代背景と世界状勢の変換に伴い、諸設定も一新されている。リベラルなロシア大統領。好戦的な合衆国大統領。対するは、イスラム原理主義組織ではなく、極右勢力。アルカイーダを連想させるネタを回避し、代わりに極右勢力を持ってきたのは、一方では逃げだったのかもしれないが、極右勢力の台頭も重大な時事問題だ。敵ボスが言う、“共産主義は衰退の一途を辿っているが、ファシズムはまだまだ有効だ”との言葉は、残念ながら真実だ。この映画内における描写が真に迫るものだったかはさておき…

 本題の“恐怖の総和”…そのダブルミーニングについて

 映画が描いたのは、“人がもたらす恐怖の総和”の方だ。決定的な力を保持しながら睨み合う両軍事大国、政治的決定権を持つ者たちが情報不足のままに行う政治的駆け引きの中で最悪の決断に傾いていく過程は、まさに人的災害、人の負が総和し恐怖を産み出す過程に他ならない。この映画はこちらを主題としていたわけだが、原作には、もう一つの恐ろしい総和が描かれていた。

 核兵器が威を発揮するまでの総和だ。

 先端技術の総和たる核ミサイルだが、その決定的な破壊力故に、誤爆が許されない。だから冒頭のように宿主たる戦闘機や潜水艦が撃墜、撃沈されたとしても、核爆発が起きないように設計されている。逆に言えば、核爆発を起こすまでにいくつもの段取りを踏むように設計されている。つまり核爆発に至るまでの、ミサイル内部におけるその段取りこそが“恐怖の総和”そのもう一つの意味なのだ。原作はその核爆発に至るまでの過程と、それ以前の核兵器が製造されるに至るまでをホラーとして描いていた。人類の英知が総和され、そんなものが造られてしまうことの恐怖――物理学的に何処までが本当だったかはともかく、その冷徹かつ精緻な描写が核の恐怖を浮き彫りにしていた。

 映画には、それがまるまる欠落していた。製作総指揮にクランシーが名を連ねていたことに鑑みるなら、自粛の意味合いが強かったのだろうが、結果的にそれが被害規模の曖昧さや被爆描写の圧倒的な不足など、演出の欠陥に結び付いてしまっていた感は否めない。また、死の灰降り注ぐ爆心地をゴキブリ並みの生命力で駆けずり回る主人公には呆れるしかなかった。娯楽映画としては四点ぐらい。

 蛇足だが、ラスト・主犯達が次々に暗殺されるシークエンス、某有名作からの明らかな剽窃は、政府なんてマフィアみたいなものだよ、という皮肉だったのだろうか?

(評価:★4)

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