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[コメント] キング・コング(1933/米)

欧米の怪獣観が如実に出ている。欧米にあっては怪獣は二種類。一つ、『エイリアン』を代表とする感情が欠如した殺人クリーチャー。二つ、『キングコング』を代表とする怪物の器に人間的な感情を持ったが故に哀れみを誘うヒューマン・モンスター。
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 ドラキュラ、フランケンシュタイン、マイナーなところではグレゴリー・ザムザ。温かい血が通った彼らには、人間と同じように、感情があり、意思があり、人格があった。だが、それを内包する器が違っていたために彼らは悲劇を迎える。

 彼らは、一つの共通する価値観により、産み落とされました。西欧の人間中心主義です。すなわち、人間であることこそ至上であり、人間でないことは哀れなことであるという価値観です。この価値基準ゆえに、人間の感情が怪物の器をもった彼らは悲劇的な位置づけとなるものの、しかし、哀れみを買いながら絶対的に排除されるのです。

 日本が産んだ怪獣ゴジラとは全くの好対照。水爆実験が産んだという科学考証を基盤としながら、一方で大戸島の伝説が付されるゴジラは、科学的でありながら神話的であり、人間的な感情を持ち合わせず、逆にその器は神がかった力を発揮します。人間>自然である西欧の近代思想に対し、火山大国、地震列島の日本人の価値観はあくまで自然>人間であり、人間が倒すことが出来ないゴジラには、その価値観が如実に反映されているといってよいでしょう。

 さて、キングコングです。紛れも無く西欧の人間中心主義が産んだ怪物でありながら、情け容赦ない排除を受ける悲劇を貫徹しているという点で、小説が産み落とした老舗の彼らに一歩も引けをとっていません。

 まあ、正直言って、この自然<文明の西欧近代思想の申し子のような気違い監督より怪物の悲劇に心を寄せてしまう山根博士のほうが、大根あんちゃんのドリスコルより苦悩を一身に背負って沈んで行く芹沢博士の方が、大根あんちゃんと簡単にくっ付いてしまう尻軽のアンより山根恵美子の方がよっぽど好きなのですが…

 しかし、この映画が『ゴジラ』の下に来ると言っちゃあ、ならんのです。

 文明と自然、現実と虚構の間の子たる奇形児がゴジラなら、キングコングは、そもそも百パーセント、ロマンの産物です。気違い監督がまだ見ぬ秘境にまだ見ぬ何かを求め突撃するのも、売れないエキストラが千載一遇のチャンスを手にしとんでもない災難にあいながらヒロインになるのも、大根兄ちゃんが船上で美女をゲットするのも、彼らがキングコングを弄び、多くの人間を犠牲にしながら、それでも裁かれないのも、全てはロマン。問答無用にロマン。ご意見無用に浪漫。

 半端じゃありません。人間の浪漫と怪物の悲劇が断絶されながら並存しているからこそ、その後の怪獣、特撮、SFに無限の可能性を残したのです。

 それにしても、コマ撮りと合成の迫力はさることながら、セットが凄い。あれを観て、あれだけの資本が無かったが故に、その不足を補わんと、円谷特撮は発展していったのではないでしょうか。でも、キングコングのゴジラへの影響を考えるに、円谷以上に凄いと思ったのは、伊福部昭の音楽です。この映画の音楽の良いところを踏襲しながら、凄まじいアレンジ力で『キングコング対ゴジラ』の音楽を創造したようです。

 とにもかくにも、あらゆるモンスター・ムービーの生みの親、それだけで、点数つけんのもおこがましい気がいたします。

(評価:★5)

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