[コメント] アルマゲドン(1998/米)
この映画はバカげてなんかいない、リアルすぎるほどリアルなだけなのだ。
魂を持たない脚本、派手なだけの映像、作品への愛情なき演技…もう、怒りは消えた。ただ、この映画が、映画が夢を見られなくなってしまった…そんな時代を象徴しているようで悲しい。
スクリーンは夢を求めるはずの場所だった。現実に転がる無数の未知を苗床として生まれてくる夢を。
でも今や、どこを探したって未知なんか見当たらない。未知はなく、ただ無知なだけ。知ろうと欲すれば、いくらだって知ることが出来る。だから知りたいなんて思わない。知ったところで、それはただの情報、野暮な種明かしでがっかりさせられるだけの情報に過ぎないのだから。
情報過多の現実に圧倒され、現実に嫌気がさすも、その現実を信じるしかない。ストレスだけが溜まっていく。虚構には、そんな現実へのストレス解消だけを求める。夢なんざいい。派手なものを見せてくれりゃあそれでいい。あわよくば泣かせてくれ。偽物のカタルシスでいい。泣ければストレス発散だ。
かくして映画館はヘルスセンターになってしまった。そこで上映される映画がリアルでなくて何だというのか?
泣かせてくれと欲して流させてもらう涙が不純とは限らないが、むしがいいとは思う。映画の中に入り込んで登場人物と冒険心を共にするだけの想像力を働かせる努力さえせずにカタルシスを味わおうと言うのだから。
かくいう俺はそんな涙はごめんだ。泣かされたい癒されたい症候群にかかった連中のために隕石で墓堀りなんてのもごめんだ。想像力が情報に敗北した地球のために死んでやる義理なんてない。俺は…
脱出する。まだ見ぬ未来に向かってな。(『怪獣大戦争』)
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