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[コメント] 二十才の微熱(1992/日)

「二十才」で片付けられない「微熱」は感じられたか?
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







すぐに壊れる携帯オーディオ、鬱陶しいだけの知り合いが振りまく喧騒、エレベーターの中で縮み、降りたときには元に戻る距離、惚れた相手と自分が鏡越しに横並ぶのを照らす蛍光灯の青白い光、親友を演じて見せる相手への伝えられない想いが空に溶けていく屋上、澄んでは淀み、淀みながら澄んでは一向に交わらない気持ち、それらを紡ぐ淡々とした孤独、全てが生まれては死んでいき、一方で何一つ起きない孤独の時間――あの頃、まさにそうだった。だからこそ、つまらないんだ。「リアル」なものだけ提示されて、それにしたり顔で共鳴するだけの映画人生なんて一生送りたくないんだ。この映画の前半は、俺にとっては無だ。

ところが、後半はそうではない。一見ベタな多角関係のドラマに堕すかに見え、リアリズムを超える。二組の「恋敵との遭遇」を重ねて見せるカットバックも、自分に気がある相手の親が自分を買った客だったという強引な設定も、体を求めあえない心と心が仕事の場で情事を強要されるアイロニーも、それらを同性愛という一要素が万華鏡にしてしまう脚色もありえないのだけれども、「ありえない」シーンだけが描きうる、前半の「ありえる」シーンが出せない、人の心の中に「可能性」としてのみ存在しうる「リアル」が後半には見えた。

逃がしてくれなかったあの客は、社会、現実、自分の未来、彼により否応なく自分を想う者に向き合わされ泣かずにいられなかった主人公、残酷な片思いに沈む少年、ガキどもに自らをさらけ出さねばならなかった社会人――少年が寄る辺無き我が身を鼓舞するために絞り出した歌は孤独でしかありえなかったが、二人のそれと響きあいはした――その瞬間にだけは、「二十歳」で片付けられない「微熱」を感じた。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)秦野さくら[*]

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