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[コメント] ランボー ラスト・ブラッド(2019/米)

まったく過不足のない一直線のシナリオなのだが、こんなに考えさせられるシリーズはないのだ。
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ランボーが最初にメキシコを訪れたくだり、カルテルの強面たちに囲まれて、ふと何人かの顔が思い浮かんだ。トムクル兄さんやリーアム父さんが超人的な機転と小手先でちょいなちょいなと何人かを張り倒し、あっというまに煙に巻いてしまう姿だ。しかしランボーはそれができないのである。娘とも言える少女が魔窟に飛び込んでしまい、浮足立って追いかけるに当たり満足な準備もなく、囲まれ、銃を突き付けられ、あえなくボコられて四日間も寝込んだあげく、結局彼女を死なせてしまう。続編なんてどう転んだって不思議はないし、多少ひよったって受け入れるというのに、ランボーばかりは当たり前のようにこうなのだ。なぜならランボーが見ているのは、混沌と暴力が育てる悪徳の群れであって、それらは確かにこの地上に蔓延っている。暗澹と垂れ込めて、ちょいなちょいなと煙には巻けない。か弱い少女の一生は報われることなく終わる。惨憺たる事実を情報としてもたらされても、軽く涙流すふりで目を伏せてしまうばかりの代物だが、シリーズはあえてこれを真正面から対象化して、驚くほど一元的な怒りをぶつける。字面にするといかにもバカげているが、スタローンはなおもこれをやろうとする。企画は前作の頃にあって何度も頓挫しかけたことは知っているが、十年経っても実現させるそのモチーフはどこにあるのかと思う。ワークアウトと一口に言っても、ランボーのこの動きは年齢を感じさせないなどという生易しいものではなく、ここでしか見たことのない、ここでしか見られない極めて異質なものだ。これを見せられないかぎりはテーマなど瞬時に霧散することをスタローンだけが分かっているから、今もってワークアウトを欠かさず、ついには実現してしまう。

難しいのは、スタローンが身を置いているのは間違いなくエンターテイメント業界であって、『ランボー』がアクション映画というビジネスを成立させている点だ。つまりはアクションのためのシナリオなのではないか? という疑念がよぎる。最後の壮絶な復讐劇のための出汁としてキャラクターを殺しているに過ぎないのではないか? そう、ハート=心臓というモチーフさえも、最後あのような行動に出るからには相応の喪失がなければ釣り合わないという計算があるのではないか? といったアンビバレントな感覚に自分とて囚われる。というか、わたくしとていい年であり、二児の父。鎮魂ポエムでなくて、かわいいガブリエラちゃんとのポカポカした老後がランボーにだってあっていいんでないの? と正直思ってしまう。

一つ言えるのは、スタローンには迷いが一切見えない。ランボーの執着は、ヒーローのそれには程遠い。異常で、残虐で、みすぼらしくすらあるが、止め処もなくあふれ出てくるそれが、俺にはどうしても他人事と思えない。ガブリエラは、なぜ実父を求めたのか? もとい説得が二度描かれ、その二度目でランボーはなぜむしろ彼女の祖母マリアを止める側に回ったのか。スタローンは時折ひそかにディスコミュニケーションを描く。養女はどこかランボーによそよそしい。その怪物性を嗅ぎ取っているからだ。それをランボーも分かっている――自分が父親などになれないことを。だからこそ本当に受け入れられるのが彼女の臨終となるアイロニーが哀しい。アウトサイダーだけが持ちうる慟哭が真正面から迫ってくる。異様なまでの殺戮の果てに真正面から迫っては切り裂く、あのラストが脳裏から消えるのはたぶんぼけたときだと思う。

(評価:★4)

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