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[コメント] GODZILLA 決戦機動増殖都市(2018/日)

生かすからには明確な意図こそ次作にあれと思ったものだが、この点に関してはきちんとあったと言って差し支えないと思う。村井さんパート?
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 第一章に感じた大きな不満は、復讐と尊厳の論理が独善的にしか見えない主人公と、そんな男に惹かれているだけのヒロインがなんともつまらなく見えたことだ。彼らが史上最大のゴジラを前に花と散れば、せめて作品のすごみが増したのにとも思ったが、シリーズは若い男女をセオリーどおりに生かして、この第二章では恋バナを展開してみせる。

 生かすからには明確な意図こそ次作にあれと思ったものだが、この点に関してはきちんとあったと言って差し支えないと思う。

 もちろんただのロマンスではこまるという話で、この特殊な舞台設定とテーマに即していないとダメなのだが、ゴジラによって地球を追い出された人類と現代文明の逡巡を象徴する主人公と、ゴジラを凌駕するために自らがメカゴジラ=ゴジラを凌駕する怪獣となることを結論として標榜するビルサルド、そのはざまで揺れ動く少女の葛藤というふうにうまく絡めた書き込みがされていた。こちらもリビルドされたインファント島の島民、そして小美人たるフツワの介在についても、ロケーションはご都合だが、記号的には必要だった。彼らは文明と繁栄への自戒と抑制、あるいは禁欲と言い換えてもいいのかもしれない、そういった人類がなりたくてもなれないエコな聖人の象徴であるのだが、彼らだって等しくゴジラにおびえ、神たるモスラが殺された事実に葛藤し、どうあろうとも結局は滅ぼされるのではないかという不安に苛まれているから、ワタリガラス=文明人たちによるゴジラを倒そうとの試みが気になってしかたがない。なにしろ、このワタリガラスがあんまりボロボロで放っておけない。前作でゴジラ・フィリウスを青息吐息で倒したのもつかの間、ゴジラ・アースに蹴散らされたハルオは、すっかり自信を失って迷走の真っただ中だ。あまりにもたくさんの同胞を殺してしまい、もう復讐を叫ぶだけの少年ではいられない。そんな喪失の空洞に響いてきたのは、地上の支配をあきらめ地底に甘んじることを受け入れて生きるフツワの優しさと、ゴジラを憎みながら標榜しそれに成り代わろうとするビルサルドのメタリックなロジックであった。打ちのめされたハルオの心にフツワの水が甘く感じられるのはよくわかる。なにしろ褐色の小美人だ。その美少女に心を通わせようとするハルオにヒロインのユウコがいらだつのもいじらしい。彼女はハルオを追いかけて、ビルサルドに身をゆだね、みずからも鋼鉄になろうとしている。こちらも少女からの脱皮に臨んで培わんとしている哲学がエコ聖人への反感と嫉妬に昇華されている様相だ。

 けれども、人はゴジラを凌駕するために、メカゴジラに同化できるものか? ——灼熱の問いかけをもって、本作は幕を閉じる。

 メカゴジラが二万年前にゴジラに破壊されていたエピソードを筆頭に、尺に収めることができなかった裏設定が決して小さくないものだから、ふつうの感覚で見たらご都合だらけの展開に見えてしまうのだが、それでも少しこちらから物語にすりよってやれば見えてくるものもあって、個人的にはなおも興味深い。

 ただ、同時に強い欲求不満を感じた点が本作には二点ある。一点目はゴジラに関して。ドラマが重視された結果、ゴジラが脇にやられるなんて今更のジレンマに本作も苦しんだようだ。せっかく300メートルになったのに、なにやらネズミ捕りの罠みたいなのにはめてしまっては台無しだ。これは巨体を生かせるアイデアやミニチュア特撮では基本ともいえる比較対象のモチーフを用意できなかった脚本の敗北でもあるし、熱戦と尻尾以外に意外な暴れ方を見せられなかった演出の限界であったともいえるが、一番の問題は破壊の対象たるメカゴジラ・シティが空虚であったことだ。そこに大勢の人間が詰まっていて初めて、破壊は重みを持つのだ。小所帯の登場人物たちまでがさっさと逃げてしまった不在の城を焼き尽くしたからと言って何の感慨もない。ここは戦争映画の輪郭を保った前作から大きく後退している。ハルオがトリガーを引いた先にはビルサルドの司令官がいて、ここだけはかろうじて銃声に悲哀が感じられたことを思えば、メカゴジラ・シティ自体をキャラクター化しきれなかったという問題の本質が浮き彫りになる。

 で、二番目の問題はそのメカゴジラだ。メカゴジラ・シティのアイデアは、メカゴジラを出さない逆説によって成り立っている。この頓智を繰り出すにあたって作家がドヤ顔をたたえたのか、それとも、これが負であることを自覚したうえでの作画をめぐるバジェット等、リソースの問題だったのかはわからない。ゴジラを倒すためにゴジラを模したメカを造ってしまう昭和の子供じみた発想にありきたりな拒否感を抱いたのかどうかもわからないが、もしそうだとしたらそんな優柔不断な興行の感覚もない。『シン・ゴジラ』とは真逆かつ『ファイナル・ウォーズ』と大差ないお祭り路線に舵を切っておきながら、一般の客にも訴求しようという皮算用もむなしく、結局はこのご時世にメカゴジラが見たいと思う好き者しか集まらないところへもってきてメカゴジラを出さない気まずさといったらない。

 そもそもメカゴジラというのは、(1984年版をのぞく)昭和ゴジラ晩期がヤケクソでリングに放り込んだ徒花ともいえるヒールなのだが、これがオイルショック後のうすら寒く殺伐とした70年代の空気をまとうと、妙なルサンチマンをたたえて見えた。端から偽物であり、オリジナルのアイデンティティを持たず、否、持たないがゆえに影となってオリジナルにつきまとい追い込もうとするモチーフが、中野特撮のむやみな外連味とあいまって無慈悲と無機質に悲哀をも感じさせるシンボルとなった。  しかもこのメカゴジラ、オリジナルのアイデンティティを持たないがゆえに、亡霊のようによみがえってきて、ついには主役を喰った挙句、シリーズをいったんの終焉に追い込んでしまう。『メカゴジラの逆襲』は、今なお自分にとって屈指の一本である。脚本ならびに演出がこのメカゴジラにサイボーグ少女を融合させて実写映画に焼き付けた事実は、陰ながらのエポックであったと思えてならない。マッド・サイエンティスト真船博士の娘、かつらは肉体を機械に変えられ、その頭脳をメカゴジラにリンクされる。彼女はサイボーグでありながらも、生身のままの脳が感情を、女としての感覚を持ち続けたがゆえに破綻した。自分には、このようなキャラクター付けこそ、今回の『決戦起動増殖都市』が至らなかった点であったと思える。

 この映画には、なんたらいうモビルスーツみたいなのが出てくるが、少し乱暴な言い方をあえてすると、あんなチンカス・ロボットをいくら見せられたって面白くないからゴジラを見るのだ。「破壊されて頭部だけが残ったら、その頭脳がさらなる進化を目指して、もはやかつての形状など捨て去り、今や要塞都市となって因縁の宿敵を迎え撃つ」という説法だけ聞かされたら、なるほど上述したわたくしの勝手なメカゴジラ論ともリンクしている気もするのだが、うねうね、だまされるものかよ。頓智だかリアリズムだか知らないが、そもそもリアリズムなんてオナホールみたいな代物じゃ満足できないからゴジラを見るのだ。ありえるとか、ありえないとか、そんなもん気にしてんのはオタクぐらいなもんだから、世間じゃその辺を割り切っているアメコミなんかがはやっていて、これまたうんざりさせられるというのはいらぬ難癖だ。だって、ありえない、ひどい現実が世界には蔓延っていて、俺の人生にもいくらだって降りかかってくるじゃねぇかというのもこれまた別の問題だ。とにかくメカゴジラ・シティがナノメタルでぜんぶ自分に取り込んじゃうなら、取り込まれたロボットはまったくちがうアレになったっていいんでないの? 一機目が昭和ニヒルなリベット打ちで、二機目の装甲は近未来っぽいのにオモチャみたいな犬面で、三機目は駆動部チューブがシースルーのセクシーな三式じゃダメなんですかねぇ? 「おお、なんとモビルスーツがナノメタルに取り込まれ、かつての勇姿を彷彿とさせる子機が三機もできてしまった…!」「ちょっとサイズは小さいけど、今度のあいつがバカでかすぎるんだわ。行くよ、機龍!」じゃダメなんですかねぇ?

 ダメに決まっているとしてもだ、メカゴジラ・シティがこれはというキャラクターを獲得できなかった書き込みとビジュアルの欠落はやはり大きい。表情の見えないナノメタルに、ビルサルドも想像しえない独自の意思がはっきりと見て取れたら、どうだったか? しつこいようだが、少女が鉄の意志をかためて、不穏なメカゴジラに乗り込む。するとどうだ、メカゴジラは少女の闘志に呼応するように性能を発揮して、あるとき語り掛けてくる。のめり込む少女。ああ、私はこの子とシンクロできるんだ。ところがこのメカゴジラ、いざヤツをその視界にとらえた瞬間、狂ったように猛り、暴走しかける。「あなたも本当にヤツが憎いのね?」少女は強く共鳴しながら、いよいよゴジラに向かっていくのだが、しかし、こいつがとてつもなくヤバい。どうにも手に負えなくて、つらい、苦しい、耐えられないという一線になったところで、ビルサルドではなく、メカゴジラ自身が少女に同化を求めてくるのだ。人間の一線を守るのか、それとも、メカゴジラとドロリひとつに溶け合ってゴジラをやるのか…? 「いやっ……そんなの嫌だよぉ…!」ついには拒絶する少女の絶叫を、しかし、かき消して響き渡るメカゴジラの咆哮……! だぁもう、どうしてあれ、チンカス・ロボットだったんだよ。ちゃんと過去作見たのか? 撃たれた真船かつらが銃創を隠すシーンとか、機龍に乗り込んだ家城茜が背後から熱戦あびて絶叫するシーンとか見て、なんも感じなかったのか? ナノメタルにユウコを喰わせかけるのに、どうしてその前にちゃんとメカゴジラに乗っけなかったのか心底から正気を疑う。

 ……という俺こそが正気を疑われるべきだというのは、さすがにわたくしも白髪の四十郎なのでわかってはいるのです。だいたい、こんな売れてない映画のことを過疎っているシネスケで長々書き連ねて、いまさら誰に読んでもらえるんだ。ホントどうしてくれるんだよ。ていうか、まさか次作まで頓智で片付けようってんじゃないだろうな? ちゃんとキンキラテュルルル飛ばすし、ジグザグ光線が鳥居吹っ飛ばして、ビックリした卵も孵るんだよな? ユウコだって実は次回で、あのねんねしているのを引っ張り出してきちゃうんだろ? 誰に悪いと思ってんだよ。優しすぎるところが駄目なんだ。やらなきゃ意味ないよ!

 と、この期に及んで最低のレビューを書いちゃいましたが、何だかんだと楽しませてもらっています。ゴジラ・アースについても、ボロボロにされたところで怒髪天の雷様モードに切り替わるくだりは素敵でした。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)荒馬大介 甘崎庵[*] MSRkb

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