[コメント] パシフィック・リム(2013/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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『パンズ・ラビリンス』のような映画を撮る作家が、えてして、こういう無邪気でベタな物語をものすのを見て思うことは、怪獣少年であっても、否、怪獣少年であればこそなおさら嵐となって襲いかかってくる思春期以降の暗黒人間体験を暗黒なものとして描かずにはいられない一方で、いざ『ウルトラマン』に回帰してくると、人類のための戦いを勇気と希望とを謳歌せずにはいられないということだ。あのころ見た綺麗すぎる夢、君にも見えるウルトラの星を裏切ることができないのだ。そうかギルレモ、実は俺もなんだよ。だから、この映画は、とっても楽しかった。
ぶっちゃけ言うと、何の奥行きも感じなかったって言うか、怪獣と地球防衛軍制作レイバーのどつきあいは、むしろアニメチックが行き過ぎで、この辺は樋口真嗣の匙加減を見習って頂きたいと思うのと同時に、『ドラゴンボール』なインフレ・バトルをあっけらかんと楽しめれば満足な方々と超健康優良不良怪獣少年中年たる僕ちゃんがこの映画に見たものは別に大差ない。この映画は、フレームの中に見えたものが すべてだ。
でも、ナウなヤングに教えよう――実は怪獣って、大スクリーンのシネスコのフレームにも収まりきらないものなんだ。
なんでかって、怪獣はもっとデッカいからなあ!
ワームホール通過してこようっていう害虫エイリアンの手先、大量生産されたクローン、DNAは全部いっしょ。これは俺たちが慣れ親しんだ怪獣ブームの怪獣、しまいにゃソフビになってコレクションに成り下がった俺たちの怪獣を悪い意味で良く体現している。俺たちは怪獣を消費しすぎた。この点は、俺やギルレモみたいなヲタにかぎった話じゃない。無自覚なあなた方の周りにも漫画にゲームにと、どれほどの怪獣が溢れ返っていることか。言っちゃあなんだが、スクリーンから怪獣とゾンビが消えるときは、もう映画のほうが死んでいるときだ。カンフーも同様の需要だが、カンフーできる人間が先に滅んでしまうだろう。とにかく、そうして怪獣を大量消費し続ける中で、でも、もう誰も怪獣それ自体を真剣に探求するなんてことはしない。そりゃそうだ、怪獣は怪獣であって、それ以下でもそれ以上でもない。ネッシーもUFOもネタが割れたこの21世紀に、そんなもん大マジで考えてどうすんだよ。デカくてグロくてアホなだけだ、アンパンチでブッ殺しゃそれでいいんだよ。
ひとつ思うのは、『マン』や『セブン』がどうだったかということだ。これが『マン』や『セブン』の制作者たちだったら、「いや、この、コロニー食い尽くしては次を探す害虫エイリアン、何か我々と似てやしないか? ひょっとしてこの異星人たち――我々人類の成れの果てなのではあるまいか?」なんてコペルニクス的、ないしは『猿の惑星』的転回をそこはかとなくもたらしてくれたに違いないんだ。なぜなら彼らは、大人だった。
そんなもんが何だって言うんだ?
ああ、何にもなりやしない。ただちょっと、この世界のどこかで得体の知れない巨大な何かが吠えたようなそんな気がするっていう、ただそれだけのことだ。
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