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[コメント] ゴジラ FINAL WARS(2004/日)

全ての一郎少年へ。雨や風に負けないんだ。
kiona

ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』という映画がある。稀代のシリーズの看板を掲げながら、製作過程はプログラムピクチャーとしても最悪のパターンを経た。特撮が売りのジャンルであるにもかかわらず、ろくに特撮シーンを撮る人材も予算もなく、同シリーズを請け負ってきた本編監督が、「いじめ」という過去のシリーズとは相反するような日常的かつデリケートなテーマを話の核に据え、ライブフィルムで穴埋めしでっち上げた代物である。往年のファンからも蔑視され、若いファンからも無視され続けるような一本だ。

その映画の主人公は一郎という少年である。鍵っ子で虐められっ子で引きこもりで怪獣だけが友達、ガラクタ集めてこしらえた、動くはずのないコンピュータを使って夢の中の怪獣島に行き、等身大で言葉を喋るミニラと遊ぶことだけが生き甲斐という典型的な落ち零れだ。監督をつとめた本多猪四郎の少年とミニラの触れ合いの描き方、その演出の心は今もこの胸の奥にある。何故なら自分も一郎少年だった。閉じられた世界で360°夢を見、ゴジラだけが無限だった。その火炎放射が大気圏を突き抜け、宇宙に届くと信じて疑わなかった。

そんな自分も齢28。その間をゴジラとともに生き、記念すべき五十周年に立ち合い、一応最終作と銘打たれた『ゴジラ FINAL WARS』を見た。

まぎれもない北村ゴジラの誕生。想いは二律背反だ。もはやファンの方が今に通用するものとは信じられなくなっていた下品で愛らしい怪獣たちの格闘系バトルがまったくそのままこの御時世に展開され、しかもそれが新しい魅力を獲得していたことが嬉しくないはずはない。だが、彼のゴジラと怪獣に対する認識は「ゴジラVSアメゴジ」のシークエンスに集約されている。或いは、プレーヤーに操られる格ゲーのキャラクターよろしく良いように怪獣が戦わされるといった設定は気持ちの良いものではない。

その中で唯一演出に心を感じたのはミニラの描写だ。これは冒頭で述べた『オール怪獣大進撃』のそれ。よりにもよってこれを持ち出してきたことに、この映画がそれでもやはりシリーズ全てを請け負うつもりだったと解り、想いはますます複雑になる。

この映画を観た子供達は、このゴジラを観た子供達はどう思ったのだろうか?しかし、それは今の自分が大人の視点から複雑に思うところの設定に集約されるのだろうか?自分が子供だった頃、物語は断片を規定しきらなかった。断片こそが物語を産んだ。大気圏を突き抜け宇宙に届く火炎放射、そのシーンだけが彼に物語を植えつけるなら植えつければいい。何故なら、たとえそれが作品のトータリティに保証された断片でなかったとしても、演出家の認識が伴った断片でなかったとしても、そこにはゴジラとして連綿と受け継がれてきた圧倒的な血と力が確かに宿っている。

そして、それに取り憑かれる少年はいる。

彼がそれを年月の中で緩やかに卒業できるならそれでいい。だが、拭いきれない少年も必ず出てくる。彼はこの先傷つき続けるだろう。月日は残酷に過ぎていき、全てを風化させようとする。周りは瞬く間に大人になっていく。あらゆるものを学んで行けば、それが信じてきたものを色褪せさせようとする。やがては、自分の愛も照れ隠しにしか語れなくなる。ゴジラなんてガキの玩具だ。映画を観ろ。世界を見ろ。そこにはもっと偉大なものが溢れ、美しい映画が転がっている。それが受けいれられるならそれでいい。祝福を、心から。でも、俺は知っている、君はそれでも想うんだろ?他の何を見ても、あの時アイツに高鳴ったほど、その胸は高鳴らないと。だから、世間が容赦なくアイツに雨や風を吹き付ける中、歯を食いしばる、たった一人で。

俺には俺なりのゴジラがいて、それも初代に苦悩する不器用なゴジラを愛していて、この映画にはこんな点数をつけてはいるけれど、5年後、10年後、15年後、いつか君がたまたまここを通りかかったとしたら、言ってあげたいんだ。君が胸に抱くそのゴジラは、でかく、強く、美しい。

君が信じ続けるものは、でかく、強く、美しい。

(評価:★3)

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