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[コメント] ヴィレッジ(2004/米)

今回はヤオ。汲めるところなし。
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 シャマラン本人が語ったところによると、『シックス・センス』における主人公の少年の立場は、少年時代のシャマランの状況が反映されていたそうだ。かの映画における少年の不安に満ちた視線は、小さく黒くエキゾチックな顔立ちをしたシャマラン少年の「自分を奇異な目で見下げてくる大きなアメリカ人たちの記憶」そのものだったという。なるほど良作たりえた所以は、構造の巧みさもさることながら、シャマランの異邦人的視線が幽霊が見えてしまう少年の視線に昇華されていた点にあったのだろう。

 そう考えると、シャマランの映画は実に一貫している。傷を負い恐怖に打ちひしがれ社会の片隅でひっそりと生きる人々が常に主役であり、彼らの外界に対する不安がテーマとなっている。その意味では、今回もまさしくシャマランの映画だった。

 ただ、いかんせん空虚だった。本人が思っているほど伏線が大層なものではなく、またお得意のどんでん返しに帰着するネタが実のところ30分もののそれでしかないのは、実はいつものことだとしても、脚本の練り込みが足りず、キャラクターの奮闘がまったく生きていないし、テーマがポーズで終わってしまっている。

 大した見せ場もなく、恐怖演出は凡庸、ラブストーリーとしてはよくあるご都合主義の域を出ず。ホアキンブライスブロディの三角関係をもっとカッチリ見せるべきなのに、ブロディの「いいお友達」の嫉妬と悲哀を突き放して(要は誤魔化して)描いている時点で逃げてしまっている。

 テーマから考えれば、「村」という井の中で生きてきた彼女が彼氏のために「街」という外界に立ち向かうモチベーションが物語の核であり、外界の恐怖のメタファーがあの森なのだが、シナリオから考えると、あそこでハートがわざわざ盲目のブライスに危険を冒させる理由が致命的に弱く、結局はあの空間全てがハートの箱庭だったとわかると、ますます彼女が命をかけなければならなかったモチーフが消失してしまう。ハートが自分で行きゃ良かったじゃん、という話だ。そればかりか外界の暗喩だったはずの森までが箱庭に過ぎず、その箱庭の外側とそこで出会った人間は彼女に対して実に甘かった。つまり、この映画には箱庭、ハートが、もといシャマランがこしらえた箱庭しか出てきていない。何のリアリティもない。

 自分が『シックス・センス』と『サイン』を何故評価するかと言えば、弱者の立場から見つめながら、『シックス・センス』には少年が向き合う社会がきっちり描かれていたし、『サイン』のエイリアンはSF的には×だったけど「外界からの恐怖」「主人公の家族が乗り越えるべき困難」としては機能していたからだ。

 揺るぎないモチーフと文脈の必然に裏打ちされた困難と葛藤こそがリアリティであり、およそ怪獣・野獣・怪人・化け物・宇宙人・幽霊何でもいいそういういかがわしい空想の産物全ては、登場人物にとってのガチなハードルたればこそ確固たるリアリティを獲得する。逆に、人間だけしか出てこなければリアルたりえるなんて、映画も物語もそんな甘いものではない。この映画の化け物は文字通りの八百長だが、八百長相手でガチのラブストーリーが成立するわけがないのだ。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (8 人)おーい粗茶[*] らーふる当番[*] peacefullife[*] すやすや[*] tredair G31[*] てれぐのしす[*] 水牛太郎[*]

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