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[コメント] ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還(2003/米=ニュージーランド)

おつかれ、フロド。次は、好きな娘でも探しに行けよ。
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ジャンルに幕を引いたと言っても過言ではない圧倒的なスケールのスペクタクルには、掛け値無しの拍手を。また、それに伴う本編(日本の特撮映画において登場人物をメインに演出するシーンを時にこう呼ぶ)演出にも一切手抜きが見受けられなかったことを考えれば、三部作撮りきった演出家のエネルギーこそ想像を絶するものだった。

ただし、今回のプロットはどう考えても強引で、原作未読者を取り残すものだった。それを補う吸引力は確かにあり、欠点を黙認する声が多数を占めるのもむべなるかなとは思う。しかし、一方で、圧倒的に心惹かれるエピソードを見出せなかった。強いて言えば、フロドが指を食いちぎられ逆に助けられたアイロニーと、王及び国民がホビットに跪いたシークエンスか。

くわえて、特撮好きの自分が、これだけの特撮を見せられて、何故この三部作に心酔できなかったのか、今回ようやく理解できた。――サウロンが駄目だったのだ。物語の終着駅となるべき最後の敵が余りにも魅力に欠けていたのだ。いや、違う。魅力に欠けていたどころか、正直言って、自分にはサウロンが最後の最後までさっぱり見えてこなかった。

「怪物と戦う者は、常に自分自身が怪物となってしまわないように気をつけなければならない」と語ったのはニーチェだったか。言い得て妙だ。人は怪物と相見えるとき、目の前に息づく怪物を相手にしながら、自分の心の中に生まれくる怪物をも相手にしなければならない。フロドがまさにそうで、後者の怪物をここまで丁寧に追ったファンタジーは希有だろう。

問題は前者の方だ。終着駅と書いたが、同時に始まりであり、過程においても常に主人公達に影を投げかけるべき存在、その存在に対する明確な実感こそが、味方(人物)の苦闘を実感するために最も必要なものと、自分は感じる。『旅の仲間たち』におけるあれだけの茨道、『二つの塔』におけるあれだけの激闘、しかし、どこかで何かが決定的に欠けていた。

と言っても、サウロンの描写がなかったわけではない。古来の戦闘シーンにあっては、敵陣の中にその姿が見えたし、幾人の夢に、或いはフロドが異次元に逃れる度に存在を示してはいた。しかし、所詮影であったり、常に超次元的な場所、言ってみれば安全圏に身を隠したまま、駒を動かしてくるのみで、実感できる実体が何も見えてこない。

それが今回に至っては、最後の最後まで何もせず、あまつさえ我が身が滅ぼされるや、絶大な自軍全てを道連れである。これでは、オークもトロルも他の化け物たちも余りに報われない。

自分の知っている中で最強の敵軍総大将は、象の如き黒馬に跨り、常に全軍を後方に従え、闘いとなるや先陣を切ると、鬼神のごとく暴れ回り、部下の誰より返り血を浴びていた。

自分の知っている中で最大の破壊神は、漆黒の中、巨岩の様な足から徐々に姿を現し、圧倒的な質感全てを見せる頃には世界を自ら火の海に変え、死ぬときは死ぬときで溶かされ、骨まで見せて朽ちていった。

この三部作で真に魅力的だった怪物は、バルログである。原作未読の自分は、あのシーンで、カンダルフが死んだものと信じた。バルログが、カンダルフが死を賭すだけの相手だと感じたからだ。だから、カンダルフが生き返ってきたときには、何の感慨も湧かなかった。生き返ったことでバルログの価値を下げておいて、灰色から白にどうのと寝言を言われても、ついていけるわけがない。

以上、怪物を描ききってこそ人物描写が生きてくると信じる怪物偏重主義者の遠吠え。

(評価:★3)

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