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[コメント] GO(2001/日)

俺は根無し草じゃない。
ろびんますく

人は名前をよくつけたがる。分類した方がわかりやすいから。A国人、B社員、C大生、エリート、ボンクラ、犯罪者、etc etc

で、通常、分類される時っていうのは、そこでとどまることはなく、ほとんどの場合、その先には「外人だから〜に違いない」「在日だから〜だろ」という意味合いが(少なくとも暗に)込められている。

僕は、ガキの頃から海外で生活することの長かった日本人だ。

日本では「帰国」と呼ばれ、海外では「外人」と呼ばれてきた。

杉原は「俺は俺なんだよ!!」と叫ぶが、その気持ちはよくわかる。昔は、特に杉原くらいの時には、自分の思ってる自分と、自分に与えられる名前から判断される自分とのギャップがでかいときほど、自分の背負ってるもの全て捨てて、裸の自分をゼロから判断してほしいと切望したものだ。だから、杉原みたいな考え方を否定はしない。

でも、今はちょっと違う。

どの名前も自分の一部でしかないし、それだけで判断されるほどバカらしいことはないけれど、どの名前も自分の(立派な)一部ではあって、自分がそこに根をおろして来たから付けられたもんじゃないかと思っている。もちろん、僕は日本人であることを選んで生まれたわけじゃないが、日本人である親から日本で生まれて日本人であるということを理解しているという意味での根はおろしているつもりだ。海外で生活したってのも、それぞれの地に根をおろし、それぞれの地から吸収して(要らないものは吐き出して)今の自分がいる。名前で一律に判断されることはくだらないけど、名前がきっかけになって、知らない者同士、話し合って、知り合うこともある。そうしてはじめて、名前の裏に隠れたお互いの「俺」全体が見えてくもんじゃないかと思う。そうすることによって今まで名前を増やしてきたという気もする。

で、何なのかというと、よくわからない。別に、そう思ってることが大人だなんて思ってるわけじゃない。

ひとつ言えるのは、俺は根無し草なんかじゃない、俺は色んなとこに迷惑がられるくらいに根をおろして、名前くらい全て背負って生きてやるってことかな。

「俺は俺なんだよ!!」杉原はそう言う。

それはそうだ。それでいい。でも、それはスタート地点だと思う。「俺は俺だ」っていう時の、「俺」ってなんだ?って考えた時に、やっぱりこれまで生きてきた自分ってのがそれであり、だからやっぱり「俺」ってのは空っぽのゼロの自分なんかじゃなく、色んなモノを背負っている自分じゃないかと。そう、僕は思う。軽口叩きつつも実は親父の背負ってるものはちゃんとわかってる杉原も、多分それくらいは気付いてるんじゃないかと思うけどね。

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